マクロ経済を牽引
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/18 08:23 UTC 版)
1994年11月、チェコがユーロ債を初めて発行した。1996年4月にポーランド・ラトビア・リトアニアがつづいた。1999年2月、エストニアも発行した。同年、ハンガリーが10年の長期ユーロ債を発行した。2000年初めにはポーランドが6億ユーロの、スロバキアが5億ユーロのユーロ債を発行した。1998年から1999年までに、中欧・バルチック諸国の発行したユーロ債の合計額は5-60億USドルにも達して、この水準が2000年に安定した。主要な発行国は、チェコ、ポーランド、ハンガリー、そしてスロバキアであった。これらの国々へは1990年代遅くから直接投資が行われていたが、その一方でユーロ債は間接投資の主役であった。 ユーロ債が中欧に発行国を得た時期、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起きていた。ユーロ債と直接投資は中欧諸国の政情安定に働いたとみられる。紛争終結後、ポーランド・チェコ・ハンガリーの三カ国はNATOへ新規加盟したのである。 ユーロ債はラテンアメリカを機関化してゆき、1999年末までにブレイディ債(Brady Bonds)からベンチマークの地位を奪った。1999年末時点の世界オフショア市場で、ラテンアメリカ・カリブ諸国債券にブレイディ債が16%を占めたのに対し、ユーロ債は27%もシェアを獲得していた。ユーロ債はロシアとアフリカ諸国にもデフォルトするほど貸し込まれていた。 20世紀末、国際証券市場協会(International Securities Market Association)がニューヨーク銀行のマルチディーラーシステム(Bond-Net, rebranded Coredeal)を使えることになり、ユーロ債市場を電子化していった。 2005年6月、シティグループがユーロ債大量取引による不正操作の疑いでイギリス金融庁から1396万ポンドの制裁金を課された。この大量取引は18秒に普通の一日の量を一気に行ったものであった(ドクター・イーヴル作戦)。 世界金融危機はユーロ債発行市場を直撃した。それまで金利がリーズナブルであったユーロ債は諸国が短期国債を発行する常套手段であったが、ユーロ債の発行額という資金供給量そのものが落ち込むと利率はカントリー・リスクに厳しいものとなった。こうしてユーロ危機が連鎖してしまった。原因をリスクの偏りに求める者が、欧州諸国の財政統合や財政保険を主張した。欧州各国で暴動が起こり、ユーロ市場に対する正当な追及も相次いだので、機関投資家に都合のよい財政統合・財政保険は今のところ実現していない。そこで海外の機関投資家は日本国債へ乗り換えてきた。いわゆるワイヤーハウスは、さらに個人投資家の資産をマネージド・アカウント(MA)という投資一任業務で上場投資信託に投じている。日銀とGPIFもETFを買い支えている。 日本経済はユーロ債によって機関化されたが、しかし決して金融の民主化を意味しない。それは欧州経済も同様である。マリオ・ドラギがユーロ危機を収束した方法は(Outright Monetary Transactions)、財政に干渉させるなら償還までの期間が1-3年の国債を買ってやるというパフォーマンスであった。買入れ対象となっている国債は期間設定によりユーロ債となりやすかった。融資条件の財政干渉(macroeconomic adjustment programme)は労働市場等に過酷であった。潮が引くように借り手が去ってゆき、欧州中央銀行は1ユーロも出さずに各国へ自力で財政を再建するよう突き放すことに成功した。もちろん機関化するのである。財政干渉の監督者である欧州安定メカニズム(European Stability Mechanism)は、その発行債券を機関投資家に買わせる仕組みである。欧州金融安定ファシリティも同様のシャドー・バンキング・システムである。2013年6月までに、欧州安定メカニズムはスペインへ1000億ユーロ、欧州金融安定ファシリティはギリシャへ1446億ユーロを貸し付けた(LTRO2, etc.)。こうして弱者に税負担を課し、レポ取引の担保となる国債価格を支え、シャドー・バンキング・システムを延命させたのである。 ユーロ債は2014年ウクライナ騒乱でEU派を形成した。ウラジーミル・プーチンがヴィクトル・ヤヌコーヴィチと会見して、将来数年間に発行するユーロ債を買ってやると申し入れたところで、ウクライナ経済には焼け石に水だった(17 December 2013 Ukrainian–Russian action plan)。ウクライナはチェルノブイリ原子力発電所事故からユーロ債漬けだった。2015年1月14日欧州司法裁判所が、欧州中央銀行による直接支援がないことを条件にOMTを合法と判断した。同年3月、欧州中央銀行は条件にかかわらず量的緩和をスタートした(2017年8月で累計2兆3000億ユーロ)。2016年、イギリスの欧州連合離脱が決まった。
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