ベルカ領への侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 16:46 UTC 版)
5月17日、ベルカ領南部に位置し、オーシアからサピンとの国境の約700kmを結ぶハードリアン線の突破を目的としたヘルバウンド作戦が開始された。イヴレア山の山頂に位置するグラティサントは遺跡を活用した要塞で、ハードリアン線の主要陣地であった。連合軍の攻撃でグラティサントは陥落し、連合軍はハードリアン線の突破に成功した。同日、ウスティオ領からベルカ領へ進撃した連合軍部隊が、ベルカのBMD兵器であるエクスキャリバーによって撃破された。エクスキャリバーはタウブルグ丘陵に位置する対空レーザー砲で、上空の航空機や衛星に搭載された反射鏡と連携することで、理論上は半径約1200km以内の標的への攻撃を可能としていた。 ハードリアン線を突破した連合軍はシェーン平原を拠点とするベルカ軍の第二次対空防衛線に衝突した。現地には迎撃機や対空砲による防空陣地が構築されており、連合軍の輸送計画に遅れを生じさせていた。5月19日、連合軍は第二次対空防衛線の破壊を目的としたダイナモ作戦を開始した。ダイナモ作戦はアルファ方面隊、ベータ方面隊、シータ方面隊の3隊に分かれて展開された。連合軍の攻撃は一応成功し、シェーン平原の対空防衛線を破壊できたものの、ベルカ軍はエクスキャリバーを使用し連合軍機に多大な損害を与えた。安全な航空輸送路はエクスキャリバーを破壊しなければ確保できないことを認識した連合軍は、エクスキャリバーの破壊を最優先事項とした。 連合軍はエクスキャリバーの破壊作戦を立案し、本作戦をジャッジメント作戦と命名し、5月23日に連合軍は航空部隊をタウブルグ丘陵に向かわせた。一方でベルカ軍は作戦司令本部主導でブラントフレック作戦を進めていた。作戦の目的は、これまで各地のベルカ軍を撃滅してきたウスティオ空軍第6航空師団のガルム隊を抹殺することにあった。ブラントフレック作戦はガルム隊含む連合軍機をエクスキャリバーの射程圏に誘引し一気に殲滅することを企図していた。タウブルグ丘陵に達した連合軍機は、エクスキャリバーから反射鏡を介さない直接射撃を受けた。KC-10空中給油機が撃墜されたものの、連合軍機はエクスキャリバーの懐に達しており、レーザー砲の照準合わせ中に回避軌道を取ればレーザー攻撃を回避することができた。各所の電子妨害装置や発電施設もガルム隊によって破壊されていき、エクスキャリバー頂上部のレーザー砲も破壊された。ついには塔の中心部を狙い撃ちにされ、高さ約1kmに上るエクスキャリバーは完全に倒壊した。これまで凄まじい戦果を上げてきたガルム隊だったが、ジャッジメント作戦の戦果によって「タウブルグの剣を抜いた者」として更にその名声は高まることとなった。ベルカ軍のブラントフレック作戦は完全に失敗し、1981年に始まったBMD構想から13年の時をかけて完成させたエクスキャリバーは、実戦運用を開始してわずか6日で倒壊した。 5月28日、連合軍はB7Rに対する不可侵条約の永久破棄を国際会議の席上で表明すると同時にバトルアクス作戦を決行し、B7Rに向けて戦闘機部隊を差し向けた。B7Rは連合軍機とベルカ軍機による大規模空戦の場となった。ベルカ軍機は連合軍機の40%を撃墜し戦局は一時的にベルカ軍優位に傾いていたが、ウスティオ空軍のガルム隊が到着すると戦局は一転して連合軍優位に傾いた。特にガルム隊の隊長を務めるサイファーの活躍は凄まじいものがあり、両軍の将兵から「円卓の鬼神」と渾名された。連合軍の勝利によって、ベルカ軍はB7Rにおける影響力を喪失した。この頃、ベルカ内部の強硬派である「灰色の男たち」は、連合軍の進撃を食い止めるため自国領への核兵器の投下を画策していた。核攻撃に対してはベルカ内部でも反発があり、核攻撃を命令されたウォルフガング・ブフナー大佐は戦闘機を強奪して脱走し、逃亡中に撃墜されている。 6月1日、連合軍は北ベルカの南東に位置する工業都市ホフヌングの破壊を目的としたカニバル作戦を開始した。ホフヌングはベルカの軍需産業を支える工業地帯と見られており、連合軍による爆撃対象に選定された。現地では連合軍の地上部隊が進撃し、爆撃機連隊による空爆が加えられた。また、ベルカ軍による焦土作戦も同時に実施された。連合軍は民間区域も無差別に攻撃し、ベルカ軍の地上部隊によって兵器関連施設が焼き払われB-2爆撃機による空爆も敢行された。街は炎で覆われ、敵味方からの攻撃で現地の民間人は大混乱に陥った。 ベルカ軍は各地で次々に敗走していった。特に連合軍との最前線になった南ベルカは北ベルカの政府に不満を抱き、5月中旬頃から各都市が非武装宣言をして次々に無血開城していき、ベルカ軍は防衛線の構築すらできずに後退を続けた。連合軍は南ベルカを制圧し、戦線は南北ベルカを隔てるバルトライヒ山脈にまで達した。
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