ベルカ戦争後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 05:57 UTC 版)
ベルカ戦争での敗戦により、ベルカの軍備は大幅に縮小される事になった。具体的な理由としては戦勝国より課せられた軍備の制限や軍事産業の縮小、南ベルカのオーシアへの割譲に伴う国力の低下や軍事拠点数の減少、ベルカに唯一残された北ベルカにおける戦災復興が挙げられる。 ベルカ空軍も戦後に実権を握った第6航空師団長のブラウヴェルト中将によって再建が図られたが、国力の低下やそれに伴う軍事予算の減少には抗えず、戦前の様に高価な軍用航空機を大量配備・大量稼動させるだけの余裕は無かった。このため、「昔ながらの強いベルカ」や「伝統のベルカ空軍」といったベルカの軍事力を称える異名の数々は、もはや過去の遺物と化した。 しかしベルカの軍備は、ベルカ戦争の開戦や自国内での核使用に関わり、戦後も敗戦や南ベルカ割譲という屈辱を認めず暗躍していた国粋派・強硬派の政治家や軍人の集団「灰色の男たち」によって、秘密裏に増強されていた。かつてベルカの軍備を支えた南ベルカ国営兵器産業廠は、南ベルカ割譲後にオーシアの兵器企業ノースオーシア・グランダーI.G.として改編されていたが、実際には表向きオーシアに恭順の立場を取りつつも「灰色の男たち」の秘密メンバーであったグランダー社社長の元工作機関として暗躍し、戦勝国であるオーシアとユークトバニアとの間に戦争を起こすべく両国の好戦派の政治家や軍人層を煽り、戦争による両国の疲弊を加速すべくオーシアには堂々と兵器を納入し、ユークトバニアに対しては兵器を密輸していた。そして、その影で両国の目を盗み生産していた兵器群はベルカへと移送され、「灰色の男たち」指揮下の部隊に配備された。 このため、環太平洋戦争(ベルカ事変)時におけるベルカの軍備は、シュティーア城一帯やイエリング鉱山に大規模な地上部隊が展開し、空軍にはSu-47やYF-23、E-767といった高性能機が大量配備されているという、公式記録を逸脱した規模にまで膨れ上がっていた。
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