ベルカント歌手として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 05:53 UTC 版)
「マリリン・ホーン」の記事における「ベルカント歌手として」の解説
彼女の転機といえるのは、1961年2月にベッリーニのオペラ「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」(Beatrice di Tenda)のニューヨークのカーネギー・ホール公演で、ジョーン・サザーランドの相手役として抜擢されたことである。そこで彼女は、それまでのメゾソプラノ歌手よりも装飾歌唱を駆使した強靭な声で、サザーランドと互角に渡り合った。 そして彼女の名声を確固たるものとしたのは、1964年にカーネギー・ホールにおける「セミラーミデ」での、アルサーチェ役によるサザーランドとの競演である。広い音域にわたるむらのない強靭な声で、装飾歌唱を自在に駆使してサザーランドとの緊迫した演技を披露したことにより、ロッシーニ歌手としての名声を受けた。サザーランドとのコンビでは、ベッリーニの「ノルマ」のアダルジーザ役でも競演した。 他にも1969年には、ロッシーニの「コリントの包囲」(Le siège de Corinthe)のネオクレ役を演じ、更には「タンクレーディ」のタイトルロールといった、ロッシーニの男装主役たちを復活させたことが大きな功績となる。 また、ヘンデルの「リナルド」やヴィヴァルディの「オルランド・フリオーゾ」等のバロック・オペラの英雄役の発掘にも成功し、歴史的ベルカント・オペラを聴衆に知らしめた功績も大きい。このように、オペラにおけるメゾソプラノ歌手の活躍の舞台を広げたことは、チェチーリア・バルトリやヴェッセリーナ・カサロヴァ、ジェニファー・ラーモア(Jennifer Larmore)といった、ロッシーニを得意とするメゾソプラノ歌手を多く輩出する下地ともなった。このため、ホーンの活躍を機にメゾソプラノの歌唱技術が飛躍的に向上したことを指して、「ホーン以前」「ホーン以後」と分ける者もいる。 1970年代にはジャコモ・マイアベーアの『預言者』のフィデス役に登場している。1977年 1月のメトロポリタン歌劇場と1979年9月のメトロポリタン歌劇場による再演が代表的な上演となっており、指揮はいずれも夫のヘンリー・ルイスが務めた。
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