ベルカント・ソプラノになる前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 05:46 UTC 版)
「ジョーン・サザーランド」の記事における「ベルカント・ソプラノになる前」の解説
ソプラノ歌手の母と服の仕立て職人の父のもとに生まれる。母親の影響でメゾソプラノとして歌のレッスンを始める。秘書学校を出て事務職に就く傍ら、シドニー音楽院に学び、教師からドラマティック・ソプラノの才能を見いだされる。1947年にコンサート形式による『ディドとエネアス』で歌手デビューする。1950年に奨学金を得てロンドンの王立音楽大学でクリーブ・カレイに師事し、1952年に『魔笛』の第一の侍女役でロイヤル・オペラ・ハウスでのデビューを飾る。 しばらくは『魔笛』や『魔弾の射手』のアガーテ役など、ドイツ系のドラマティックな役柄をこなしていたが、同じ王立音楽大学出身の指揮者リチャード・ボニングが彼女の歌手としての運命を変えることとなる。
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