ベルカ連邦からの独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 18:57 UTC 版)
「ウスティオ共和国」の記事における「ベルカ連邦からの独立」の解説
もとはベルカ連邦を構成する自治領だったが、財政難に荒れたベルカ政府が財政再建のため、1987年12月17日にベルカ連邦法を改正した。ベルカ政府は東部諸国の政治権限の多くを現地政府に移譲し、ベルカ駐留軍も本国へ帰還した。これに伴って連邦構成国の間で独立の機運が発生し、ゲベートの独立に続いてウスティオは1988年5月12日に独立した。1991年12月16日、オーシア大陸東部諸国の間で民族に基づいた国境線引き直しが実施された。この国境線引き直しによりウスティオは東部領をラティオに割譲したほか、ゲベート南部がレクタとして独立したため、北のゲベートとの国境線はそのままレクタとの国境線になった。
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