ブレトン・ウッズ体制崩壊後とは? わかりやすく解説

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ブレトン・ウッズ体制崩壊後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 01:31 UTC 版)

国際通貨基金」の記事における「ブレトン・ウッズ体制崩壊後」の解説

1970年代中盤以降になると、発展途上国経済債務問題への対処がIMFの大きな目的の一つとなった先進国への融資1978年最後としてほぼなくなり発展途上国への融資がIMFの主要な目的一つとなった。これは、戦後復興一段落つき、開発資金援助へと特化していた国際復興開発銀行および世界銀行グループ業務重複生むこととなった折から第二次石油ショック後の資源価格下落1970年代の無理な産業開発戦略影響で、1980年代に入ると中南米諸国アフリカ諸国において債務危機多発するようになった。 これを受け、IMFは発展途上国救済融資行ったそれまでのIMFの融資条件はさして厳しいものではなかったが、この融資を行うに当たり、IMFは問題根源支払い能力ではなく資金流動性にある、すなわち債務支払い能力がないわけではなく一時的に資金繰りショートしているだけであると考え、IMFは当該国政府緊縮政策取らせて経常収支改善するよう付帯条件をつけた。 発展途上国はIMFの勧告従い増税政府支出削減民営化経済自由化通貨切り下げなどを行ったこうした政策総称して、「IMFの構造調整」と呼ぶ。このIMFの構造調整政策ラテンアメリカアジア・アフリカ発展途上国対象として広く行われたが、特にアフリカにおいては経済成長もたらすことはなく、逆に経済の停滞悪化招いた。またこのプログラムにより、アフリカ南米アジアなどの発展途上国では、雇用教育医療などにおいて後退停滞発生し1987年には国際連合児童基金UNICEF)は、このIMFの構造調整厳しく批判している。同時期、ラテンアメリカにおいても債務危機発生し、IMFによる構造調整が行われたが、これも経済成長もたらすことなく失敗し経済状況はさらに悪化したアフリカにおける構造調整策は、ただ単純に成功しなかったというだけではなく政府開発援助を行う先進諸国が被援助国に構造調整政策の実施前提条件として求めたことから、IMFと世界銀行介入が非常に大きな意味を持つようになってしまい、内政不干渉の原則にはずれるとの批判の声上がった一方こうした構造調整に伴う痛み大きさやそれに見合わない成果既得権益との兼ね合い、そして当該国行政能力そのもの低さなどから構造調整遅々として進まない、あるいは政府ができる限り形式的な改革済ませようとする事例も、特に1980年代には頻発した。しかしこうした抵抗対し1991年ケニアのように、IMFは構造調整遅れた国に新規融資差し止めるなどの措置行い構造調整実施強制した1980年代後半に入るとソビエト連邦衰退明らかになり、ペレストロイカ流れの中でIMFと東側諸国との関係は改善向かった。そして1989年東欧革命勃発し社会主義体制崩壊すると、これら諸国市場主義経済化を支援し経済的に立ち直らせることもIMFの重要な職務一つとなった1990年以降ソビエト連邦からの支援要請相次ぐようになり、1991年末にソビエト連邦の崩壊起きると、ロシア連邦はじめとする独立国家共同体CIS諸国への支援がこれに加わった。IMFはこうした旧ソ連東欧諸国対し急進的な市場経済化、いわゆるショック療法提案したが、インフレ緊縮財政によって国民生活大きな打撃受けた。この政策全体的に成功したとは言えず、とくにロシアにおいては1998年ロシア財政危機起こす原因一つとなった1994年12月にはメキシコ資本収支危機発生したものの、このときはIMFから180億ドル融資が行われるなど各国大規模支援行ったため、速やかに経済回復した1997年7月タイでの通貨危機皮切りに発生したアジア通貨危機において、IMFはタイ・インドネシア・韓国の3か国に対して支援実施した。しかしこれらの諸国経済基礎的条件それほど悪いものではなく急速な資本流出こそが問題であったのにそれと関係のない緊縮財政構造改革などの政策取ってしまったため信用収縮はさらに拡大し、この3か国は深刻な不況見舞われた。これらの国々対す厳し貸し出し条件(コンディショナリティ)は、画一的財政緊縮策や、対外収支改善直接関係しないガバナンス改革等が多く含まれていたこともあって後に多く批判を招くこととなり、後のコンディショナリティ見直しへとつながることとなった

※この「ブレトン・ウッズ体制崩壊後」の解説は、「国際通貨基金」の解説の一部です。
「ブレトン・ウッズ体制崩壊後」を含む「国際通貨基金」の記事については、「国際通貨基金」の概要を参照ください。

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