ブレトン・ウッズ体制崩壊後
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「国際通貨基金」の記事における「ブレトン・ウッズ体制崩壊後」の解説
1970年代中盤以降になると、発展途上国の経済・債務問題への対処がIMFの大きな目的の一つとなった。先進国への融資は1978年を最後としてほぼなくなり、発展途上国への融資がIMFの主要な目的の一つとなった。これは、戦後の復興が一段落つき、開発資金援助へと特化していた国際復興開発銀行および世界銀行グループと業務の重複を生むこととなった。 折から、第二次石油ショック後の資源価格の下落や1970年代の無理な産業開発戦略の影響で、1980年代に入ると中南米諸国やアフリカ諸国において債務危機が多発するようになった。 これを受け、IMFは発展途上国に救済融資を行った。それまでのIMFの融資条件はさして厳しいものではなかったが、この融資を行うに当たり、IMFは問題の根源は支払い能力ではなく資金の流動性にある、すなわち債務支払い能力がないわけではなく、一時的に資金繰りがショートしているだけであると考え、IMFは当該国の政府に緊縮政策を取らせて経常収支を改善するよう付帯条件をつけた。 発展途上国はIMFの勧告に従い、増税や政府支出削減、民営化、経済自由化、通貨切り下げなどを行った。こうした政策を総称して、「IMFの構造調整」と呼ぶ。このIMFの構造調整政策はラテンアメリカやアジア・アフリカの発展途上国を対象として広く行われたが、特にアフリカにおいては経済成長をもたらすことはなく、逆に経済の停滞、悪化を招いた。またこのプログラムにより、アフリカや南米、アジアなどの発展途上国では、雇用や教育、医療などにおいて後退や停滞が発生し、1987年には国際連合児童基金(UNICEF)は、このIMFの構造調整を厳しく批判している。同時期、ラテンアメリカにおいても債務危機が発生し、IMFによる構造調整が行われたが、これも経済成長をもたらすことなく失敗し、経済状況はさらに悪化した。 アフリカにおける構造調整策は、ただ単純に成功しなかったというだけではなく、政府開発援助を行う先進諸国が被援助国に構造調整政策の実施を前提条件として求めたことから、IMFと世界銀行の介入が非常に大きな意味を持つようになってしまい、内政不干渉の原則にはずれるとの批判の声も上がった。 一方、こうした構造調整に伴う痛みの大きさやそれに見合わない成果、既得権益との兼ね合い、そして当該国の行政能力そのものの低さなどから構造調整が遅々として進まない、あるいは政府ができる限り形式的な改革で済ませようとする事例も、特に1980年代には頻発した。しかしこうした抵抗に対し、1991年のケニアのように、IMFは構造調整の遅れた国に新規融資を差し止めるなどの措置を行い、構造調整の実施を強制した。 1980年代後半に入るとソビエト連邦の衰退が明らかになり、ペレストロイカの流れの中でIMFと東側諸国との関係は改善に向かった。そして1989年に東欧革命が勃発し社会主義体制が崩壊すると、これら諸国の市場主義経済化を支援し、経済的に立ち直らせることもIMFの重要な職務の一つとなった。1990年以降はソビエト連邦からの支援要請も相次ぐようになり、1991年末にソビエト連邦の崩壊が起きると、ロシア連邦をはじめとする独立国家共同体(CIS)諸国への支援がこれに加わった。IMFはこうした旧ソ連・東欧諸国に対し急進的な市場経済化、いわゆるショック療法を提案したが、インフレと緊縮財政によって国民生活は大きな打撃を受けた。この政策は全体的に成功したとは言えず、とくにロシアにおいては1998年にロシア財政危機を起こす原因の一つとなった。 1994年12月にはメキシコで資本収支危機が発生したものの、このときはIMFから180億ドルの融資が行われるなど各国が大規模支援を行ったため、速やかに経済は回復した。 1997年7月にタイでの通貨危機を皮切りに発生したアジア通貨危機において、IMFはタイ・インドネシア・韓国の3か国に対して支援を実施した。しかしこれらの諸国の経済の基礎的条件はそれほど悪いものではなく、急速な資本流出こそが問題であったのにそれと関係のない緊縮財政や構造改革などの政策を取ってしまったため信用収縮はさらに拡大し、この3か国は深刻な不況に見舞われた。これらの国々に対する厳しい貸し出し条件(コンディショナリティ)は、画一的な財政緊縮策や、対外収支の改善に直接関係しないガバナンス改革等が多く含まれていたこともあって後に多くの批判を招くこととなり、後のコンディショナリティ見直しへとつながることとなった。
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