フェティシズムとしての議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:08 UTC 版)
「神 (神道)」の記事における「フェティシズムとしての議論」の解説
「呪物崇拝」も参照 宗教学などで使われる概念であるフェティシズムとしての議論があり、加藤玄智は神道における呪物崇拝の例として、宝石、刀、鏡、スカーフを挙げていた。加藤は都市部を離れ農村部に入ると、アニミズム、呪物崇拝、男根崇拝の痕跡をたくさん見つけることができると述べている。東北の民族学では竈神信仰を除魔の呪力が期待される呪物とする説もある。 加藤玄智は十種神宝を呪物とするだけでなく、三種の神器も同様の性格を保持しており、東インド諸島の原住民のプサカや中央オーストラリア人のチュリンガとの類似性を指摘した。 加藤玄智が呪物崇拝の事例とした神には以下のようなものがある。 草薙剣は神剣の霊験によって超自然的な保護(御利益)を得られるとされ、草薙剣を神格化して尾張国熱田に祀ったのが、現在の熱田神宮だとした。 天照大神は孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降りる際に鏡を授け、鏡を自分の崇高な御魂と見なして、天上で彼女を崇拝するのと同じように鏡を崇拝するように命じており、日本書紀では鏡を拝むという宗教意識の極致である鏡の神格化が行われたと指摘している。 比売許曽神社の祭神である阿加流比売神(あかるひめのかみ)は赤い玉であったが、神格化され神となった。神代ではイザナギノミコトの首にかけられた宝石が神格化されて、御倉板挙之神(みくらたな神)とよばれた。 文徳天皇の時代、常陸国大洗の海岸で、ある夜突然2つの石の呪物が不思議な光を放って現れ、それが大洗磯前神社に祀られている大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)であるとの託宣があったという。 淡路島にある厳橿(いずかし)神社の神体は、伊勢神宮の鏡を模した神鏡が安置されている賢所(かしこどころ)で孝明天皇が着用した履物で、御目太(おまぶと)として親しまれており、地元住民の間では、祈願すれば病気の痛みが取れて治ると信じられていた。 古事記によると、伊邪那美命に追われて伊耶那岐神が黄泉国から逃げ還った際、黄泉比良坂を塞いだ千引の石を完全に神格化して道返之大神とした。 世界宗教用語大事典によると、御鍬祭(みくわさい、おくわまつり)では鍬形を神として崇め、農事を祈るが、伊勢神宮神田での儀礼用の鍬や鋤は呪物として神格化された。 久延毘古とも呼ばれる「山田のそほど」は田んぼに設置された鳥よけのかかしを神格化した神として知られる。 日本の言語と歴史に精通した学者、作家、外交官であるウィリアム・ジョージ・アストンは著作『Shinto: the Way of the Gods』において、日本には竈神への信仰があるが、神殿の偶像に向かって行う礼拝とは異なり、日本では竈(台所)に向かって礼拝が行われたとした。ウィリアム・ジョージ・アストンによると、熱田神宮の剣はもともと供物であり、後に神聖なものとなった。呪物崇拝の事例として熱田神宮の剣は、御霊代(みたましろ)の一つであり、一般的には神体(しんたい)と呼ばれるとし、御霊と神体の区別がつかない者も多く、神体を神の実体と混同している者もいたと解説している。例えば、竈そのものを神体でなく神として祀ることを挙げている。不完全な神の象徴と呪物崇拝との間の曖昧さは、肖像が多くの場合で使われないことによると述べた。特定の物理的な物に特別な徳を与えることで、非常に不完全な象徴の役割しか与えられていない神の存在を忘れてしまう傾向さえあると述べている。 ロイ・アンドリュー・ミラーは国体の本義と教育勅語もしばしば呪物(または物神)として崇拝され、神棚に謹んでおかれ保管されたとしている。
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