フィレンツェと『空想談話』とは? わかりやすく解説

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フィレンツェと『空想談話』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 17:33 UTC 版)

ウォルター・サヴェージ・ランダー」の記事における「フィレンツェと『空想談話』」の解説

ランダー夫妻コモに居を構え、そこに3年とどまった。ここでも彼はトラブル抱え、このときは後にイギリス国王即位するジョージ4世の妃キャロライン・オブ・ブランズウィックから、離婚訴訟になったときの夫側のスパイではないかとの疑いかけられた。1818年ランダーは、イタリアで英国異なりラテン語による書物についても名誉毀損法が適用されるとも知らずに、英国非難したイタリアのある詩人宛てたラテン詩の中で当局批判したイタリア国王の代理人脅したとして、コモから離れるよう命じられてもいる。9月、彼はジェノヴァピサ赴いたフィレンツェ落ち着いたのは1821年のことであったメディチ・リッカルディ宮殿(英語版)のアパートメント2年住んだ後、妻子伴ってカスティリオーネ邸宅に居を移した。この時期こそ、彼の作家生活における最も重要な時期であり、彼の代表作である『空想談話』もこの時期発表されている。 当時フィレンツェ居住していたマルグリット・ガーディナー(英語版)とその夫チャールズ英語版)と親友になったのもこのときである。 『空想談話』の最初2巻発表されたのは1824年、その第2版出たのが1826年1828年には第3巻1829年には第4巻第5巻発表された。以後1846年彼の作品選集第2巻が出るまで、特に新しい巻は加わっていない。多く空想上討論で、権威主義的なルール厳しく批判され共和主義思想称揚されている。 この著作により、ランダー高くはあるが広くはない文学的名声獲得した。彼はフィレンツェ当局さまざまな問題抱えていた。銀器盗難事件警官との諍い巻き込まれ警官小売商尋問した結果、彼は「危険人物」とされ、その当然の帰結として、大公からフィレンツェからの追放言い渡されることになった。後に大公態度軟化させ、当局者たちはランダーフィレンツェ居住することを忌んでいたものの、居住する権利主張するランダー言い分無視するとどめた1829年ランダーはデンビーシャー郡スランベドルホールのジョゼフ・アブレットから金を借りてフィエーゾレにあるゲラルデスカ邸宅購入した。ここで彼は水利権めぐって隣人紛争になり、英国領事カーカップが名誉という点では満足いくように取り計らったものの、訴訟沙汰になった。この邸宅ウィリアム・ヘイズリットリー・ハント英語版)の訪問を受け、チャールズ・アーミテージ・ブラウン(英語版)とは特に親密交友温めた。 エドワード・ジョン・トレローニー(英語版)と知り合いになったのもこのときであり、『空想談話第4巻トレローニー取り上げられている。常に心のこもった便りを欠かさなかった母が1829年10月亡くなり、ルージリーにいた従兄弟であるウォルター・ランダーがウェールズ不動産管理引き継ぐことになったランダーは、この邸宅数年間は執筆活動をしたり、溺愛する子供らと遊んでやったり、庭いじりをしたりと幸福に暮らした来客多かったが、特筆すべきは、1829年未亡人になっていたジェーン・スイフト(アイアンシー)であり、再び彼が詩を書くきっかけとなった。後にヘンリー・クラブ・ロビンソン(英語版もやってきて、彼とはたいへん良好なとなった1831年には『ゲビア』、『ジュリアン伯爵』とその他の詩(アイアンシーを歌ったものは31編)を収録した詩集発表した。この詩集はたった40部しか売れなかったが、ランダー自身は『イタリア生活のあれこれ』(High and Low Life in Italy)に取り組んでいたので気にもとめなかった。その本も、出版依頼するためにクラブ・ロビンソンに送ったものの、出版社との関係問題抱えたこともあって1837年になるまで日の目を見なかった。 1832年、アブレットの説得に応じて英国訪問し多く旧友再会したブライトンではアイアンシーに会い、ロバート・ローリー(英語版)とも対面したスタッフォードシャー家族訪ねた弟チャールズコルトン英語版)の司祭となっており、ルージリーの従兄弟ウォルター・ランダーはスランソニーの不動産運営手を焼いていた。エンフィールドではチャールズ・ラムのもとに赴き、ハイゲートサミュエル・テイラー・コールリッジを、ケンブリッジにジュリアス・ハレを訪ねた。アブレットとともに湖水地方行きサウジーコールリッジ会ったフィエーゾレ戻った際、彼は自分の子どもたちの面倒を見きれなくなっていたので、ドイツ人家庭教師を雇うことにした。イタリアでは、後にランダーについて記した作品著したリチャード・モンクトン・ミルンズ(英語版)に会っている。 ラルフ・ワルド・エマーソン訪問を受け、『シェイクスピアの鹿泥棒審問』(Shakespeare's Examinations for Deer Stealing)、『ペリクレスアスパシア』(Pericles and Aspasia)、『五日物語』(Pentameron)につながる談話執筆取り組んだ。ブレシントン夫人は、彼のために「シェイクスピア」を売った1835年にはアイアンシーが再訪自身の半血の姉妹ペインター夫人連れてきた。ランダーの妻ジュリアは、自分にも若いツバメがいたにもかかわらず嫉妬し、これが完全な別居につながることになった

※この「フィレンツェと『空想談話』」の解説は、「ウォルター・サヴェージ・ランダー」の解説の一部です。
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