出版社との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:16 UTC 版)
前出「ファディッシュ考現学」時代は、講談社について当時の「FRIDAY」の副編集長が創刊時に述べた「雑誌としての理念なんてない」という発言を引き合いに出し、編集姿勢や先に他社で刊行された先行雑誌との類似性(例:「FOCUS」と講談社系列による後発の「FRIDAY」、「POPEYE」と講談社による後発の「Hot-Dog PRESS」など)を批判し、「大日本雄弁会講談社(講談社の旧社名)の雑誌で、一度も連載した経験のないのを誇りに思っているのは田中康夫とは、この私である。」とまで述べていた。また「FRIDAY」は、田中康夫のSM趣味を論って攻撃していた。 また講談社と同じく音羽グループに属する光文社についても編集者の態度を批判した。しかしその後「肩の力の抜けた出版社になった」として両社の雑誌でも連載するようになった。1994年当時に景山民夫が講談社批判を行った際にも、「ポスト・ファディッシュな評価をすべき」(=『ファディッシュ』当時とは状況が異なる)と述べている。 また角川書店とは1980年代には単行本が文庫本化される際に角川文庫から出版されることが多かったが、1990年代初頭を境に、文庫本は河出書房新社その他から出版するようになり、角川文庫収録作品もほとんどが河出文庫より再刊された。一方、角川書店社員だった見城徹が設立した幻冬舎を会社設立当初には、同時期作られた日本新党になぞらえて揶揄していたが、その後は『東京ペログリ日記』をはじめとした著書を出している。 フジサンケイグループの扶桑社とは、阪神・淡路大震災直後にダイエーが行っていた商行為に関しての事実関係を巡って主張が対立したため「神なき国のガリバー」の連載は終了となったが、その後は関係を回復している。
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