出版社としてのメリアム
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「メリアム=ウェブスター」の記事における「出版社としてのメリアム」の解説
詳細は「ウェブスター辞典」を参照 1843年、ウェブスターの死後、ジョージとチャールズ・メリアムはこの辞典の1840年版の出版および改訂権を確保した。彼らは1847年に改訂版を出版した。これは本文には変更点は全くなく、単に新しい節が追加されただけだった。1859年の改訂版では図版が追加された。1864年、メリアムは大増補版を出版した。これはウェブスターの文章を変更した最初の版であり、多くの定義と『An American Dictionary...』というタイトルを保持したまま、ウェブスターの著作を徹底的に整備した。これが大辞典と形容される一連の改訂の始まりであった。1884年には収録単語数は11万8千であり、「その他いかなる英語辞書よりも3千語多かった」。 1890年版で、タイトルが『ウェブスター国際辞典(Webster's International)』に変更された。語彙は1909年と1934年の『ウェブスター新国際辞典(Webster's New International)』版で多いに拡張され、収録単語数は50万を超えた。1934年版は遡及的に『ウェブスター国際辞典第2版(Webster's Second International)』あるいは単に新国際辞典(New International)の『第2版』と呼ばれた。 『大学辞典』(Collegiate Dictionary)は1898年に発表され、このシリーズは現在第11版である。1890年の『Webster's International』の出版後、2つの『大学』版が増補版として発酵された。メリアムはフィリップ・バブコック・ゴーヴ(英語版)の指導の下で1961年の『ウェブスター新国際辞典第3版(英語版)』を出版し、辞典を再び徹底的に整備した。この版で行われた変更は世間での論争に火を着けた。これらの変更点の多くは書式、不必要な句読点(英語版)の除外、あるいは短い語句で十分な時に完全な例文を回避することであった。その他のより議論の的となる変更点は言語学的規範主義(英語版)から当時使用されていたままのアメリカ英語を描写する方向への移行の前兆を示した。 第9版(『ウェブスター新大学辞典第9版』〈WNNCD〉、1983年発行)で、『大学辞典』はただ単に『新国際辞典第3版』(本文は1961年以降実質的に改訂されていない)の増補ではなく別個の存在として自身を区別する変更を採用した。一部の固有名(円卓の騎士の名前など)は単語表に戻された。最も特筆すべき変更は、それぞれの単語の英語への流入を記録するためにそれらの既知の初出の日付を含めたことである。第11版(2003年発行)は22万5千以上の定義と16万5千以上の項目を含む。本文のCD-ROMが含まれることもある。この辞典は、影響力のある『シカゴ・マニュアル・オブ・スタイル』によって「綴りの一般事項についての」情報源として好まれており、アメリカ合衆国における多くの出版社や雑誌がこれに続いている。『シカゴ・マニュアル』は、この辞典が記載される最初の綴りを通常決める、と述べている。 G. & C. メリアム社は、一連の訴訟によって「ウェブスター」という名称がパブリックドメインに置かれた後、この名称を排他的に使用する権利を失った。社名は「メリアム=ウェブスター, Incorporated」に変更され、1983年には『ウェブスター新大学辞典第9版』が出版された。それ以前の出版物は副題として「A Merriam-Webster Dictionary」を長年使用しており、より古い版で見られる。 1940年内以降、会社は多くの専門辞書、語学支援書、その他の参考図書をそのレパートリーに加えてきた。会社は1964年以降エンサイクロペディア・ブリタニカ社の子会社である。
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