ビアトルバージ事件とは? わかりやすく解説

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ビアトルバージ事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 10:04 UTC 版)

マツーシュカ・シルベステル」の記事における「ビアトルバージ事件」の解説

詳細は「ビアトルバージ事件(ハンガリー語版)」を参照 1931年9月12日23時30分、ブダペストヘジェシュハロムウィーンを結ぶ9両編成特急列車ブダペスト東駅出発した当時列車には乗務員10人に加え座席車寝台車あわせて105人の乗客乗り込んでいた。そして13日0時20分、トルバージ(現在のビアトルバージ(ハンガリー語版))の鉄道高架橋通過中、仕掛けられていた爆弾爆発した運転士非常ブレーキをかけたものの間に合わず機関車荷物車座席車および寝台車4両のあわせて6両が脱線し26メートル下に転落した乗務員および乗客のうち22人が死亡し17人が重傷負いながらも救助された。その他に多数負傷者があった。現場地元憲兵隊によって確保され間もなくブダペストから派遣され憲兵および警察による捜査本部設置された。現場検証では右橋脚鉄骨およそ4mが完全に吹き飛ばされていることが明らかになった(後に300m離れた住宅の庭で発見された)ほか、爆発物残骸回収された。この自家製爆発物はおよそ2mほどの大きさで、ガス管用いた着火装置接続され軍用工業用として普及したエクラジット(英語版爆薬が1.5kgから2kg程度格納されていたと推測された。着火装置銅線線路接続され通過する列車重量感知して爆発する仕組みになっていた。 さらに、「翻訳者」(A fordító)なる名で書かれ次のような声明残されていた .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}労働者諸君!これより我々は、諸君あらゆる権利剥奪した資本家への反抗開始する毎月のように諸君苦境を耳にする。我々の同志あらゆる場所にいるからだ。働くべき時は過ぎ、我々と共に立つべき時が来た。資本家どもは全ての代償を払うことになる。恐れるな、燃料はまだ残っている(翻訳者)Munkások! Nincs jogotok, hát majd mi kierőszakoljuk a kapitalistákkal szemben. Minden hónapban hallani fogtok rólunk, mert a mi társaink mindenhol otthon vannak. Nincs munkaalkalom, hát majd mi csinálunk. Mindent a kapitalisták fizetnek meg. Ne féljetek, a benzin nem fogy el. (A fordító) この内容から共産主義者関与疑われた。摂政ホルティ・ミクローシュは緊急閣議経て共産主義者によるテロ行為断定戒厳令敷かれることとなった当時ウォール街大暴落端を発する世界恐慌の影響ハンガリー国内にも社会的緊張政情不安という形で現れていたほか、赤色政権対峙した記憶依然として鮮明だったため、かねてよりホルティやカーロイ・ジュラ(ハンガリー語版)首相共産主義勢力への懸念強めていたのである事件直後乗客名簿には掲載されていなかったウィーン在住実業家マツーシュカ・シルベステル現場付近目撃された。事情聴取では非常に雄弁で、この時点では容疑者とされていなかったため、すぐに解放された。しかし、当局はしばらくの後に彼が爆薬ガス管ヒューズなどを購入していたことを突き止めた10月7日、マツーシュカが地元警察容疑者として逮捕された。彼は捜査員に「『レオ』がやるべきことをやれと囁いたんだ」(Leó súgta, hogy meg kell tennem)と語り、トルバージでの犯行認めたばかりか、かつて類似の破壊活動試みたことまでも明かしたのである。マツーシュカはユーターボーク事件のほか、1930年12月31日(ノイレンバッハ(ドイツ語版))と1931年1月31日(マリア・アンツバッハ(ドイツ語版))に起こった鉄道破壊未遂への関与認めたオーストリアで裁判にて、マツーシュカは『レオ』なる謎の人物からウィーン爆破せよとの命令受けたために犯行及んだ語った。彼が精神病んでいることは明らかだったが、刑事責任はあるものとされた。1932年6月17日、ユーターボークおよびトルバージの鉄道爆破事件対し懲役6年宣告された。一方ハンガリー側ではトルバージ事件に対して欠席裁判において死刑宣告された。ただし、オーストリア死刑制度廃止されていたこともあり、1936年ハンガリーへと送還された際、判決終身刑へと減刑されヴァーチ刑務所にて収監された。 犯行動機明らかになっていない精神病から生じた妄想果て犯行鉄道爆破性的興奮覚えていた、政治的意図に基づくテロ行為だった、などの推測成されている。 この事件はマツーシュカの単独犯行と言われているが、後の調査では共犯者存在する可能性示唆された。また、戒厳令1932年末まで続いたことや関係者利害関係根拠に、当局共産主義勢力一掃権力基盤強化目的として事件政治的に利用した、あるいは直接関与行ったなど、何らかの陰謀存在想像する者もいた。事実1932年には共産党幹部サライ・イムレ(ハンガリー語版)とフュルスト・シャンドール(ハンガリー語版)の2人戒厳令下で逮捕・処刑されている。

※この「ビアトルバージ事件」の解説は、「マツーシュカ・シルベステル」の解説の一部です。
「ビアトルバージ事件」を含む「マツーシュカ・シルベステル」の記事については、「マツーシュカ・シルベステル」の概要を参照ください。

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