バッドボーイズの連覇と新世代の台頭とは? わかりやすく解説

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バッドボーイズの連覇と新世代の台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/17 03:21 UTC 版)

1989-1990シーズンのNBA」の記事における「バッドボーイズの連覇と新世代の台頭」の解説

前季念願の優勝果たした"バッドボーイズ"ことデトロイト・ピストンズだが、リーグ拡張に伴うエクスパンション・ドラフトリック・マホーン放出されたことはデトロイト大きなショック与えた。ローポストにおける最高のディフェンダーであるマホーンを失うことは、激しディフェンス信条とするピストンズにとって大きな痛手となるはずだったが、チャック・デイリーHCだけは動揺せず、ジェームス・エドワーズとデニス・ロッドマン先発昇格させ、マーク・アグワイアシックスマン転向させた。ディフェンディングチャンピオンとして新シーズン臨んだピストンズは、シーズン前半こそやや不安定な時期過ごしたが、1月下旬から3月中旬までを25勝1敗と破竹の勢いで勝ち続け5923敗でカンファレンストップの成績収めるロッドマン優れたディフェンダーからリーグ最高峰のディフェンダーへと成長遂げ、最優秀守備選手賞を獲得得点源であるアイザイア・トーマスジョー・デュマースリーグ屈指のバックコートコンビとして相手チーム蹴散らしインサイドでは相変わらずビル・レインビア傍若無人限りを尽くしていた。 我が世の春謳歌していたピストンズだが、しかしプレーオフでは肝を冷やす場面もあった。毎年のようにジョーダン・ルール叩きのめしてきたシカゴ・ブルズが、カンファレンス決勝ピストンズを後一歩のところまで追い詰めたのであるブルズオフダグ・コリンズヘッドコーチから解任し、アシスタントコーチだったフィル・ジャクソンヘッドコーチ昇格させた。ジャクソンマイケル・ジョーダン頼り切りだったオフェンス改革進めトライアングル・オフェンス導入新たなチームケミストリーの確立などで、ブルズを「プレーオフ止まりチーム」から「優勝狙えチーム」へと一段進化させた。ブルズピストンズとのシリーズでは第7戦まで戦う粘り見せ最後故障者の発生スコッティ・ピッペンの謎の偏頭痛泣いてピストンズ前に3年連続プレーオフ途中敗退したものの、ジョーダン時代到来間もないことを予感させるカンファレンス決勝となった辛うじてブルズ挑戦退けたピストンズは、連覇目指し2年連続ファイナル進出果たした一方リーグトップの勝率収めたウエスト覇者ロサンゼルス・レイカーズ意外な場所で躓いた。1980年代序盤から中盤までのウエストレイカーズのほぼ独り勝ち状態だったが、終盤に入るとレイカーズも下からの激し突き上げ遭うようになり、もはやウエストレイカーズ独走ではなくなった。それでも前季のプレーオフではレイカーズ全勝という圧倒的な強さで勝ちあがり、このシーズンマジック・ジョンソンジェームス・ウォージー健在レイカーズファイナル進出候補筆頭であることに変わりはなかった。 そのレイカーズカンファレンス準決勝破ったのはフェニックス・サンズだった。エースはベテランパワーフォワードのトム・チェンバースだったが、ケビン・ジョンソンジェフ・ホーナセックなど活き良い若手選手揃っていた。サンズチーム史初めレイカーズプレーオフ破ったこととなり、またレイカーズパット・ライリーはこの敗北機にヘッドコーチから退いている。しかしそのサンズカンファレンス決勝では敗れたカンファレンス決勝サンズ破ったのはポートランド・トレイルブレイザーズであり、彼らもまた30歳上のベテラン選手1人居ない若いチームだった。ドラフト史上最大失態呼ばれる1984年のNBAドラフトでのサム・ブーイ指名で、優勝戦線にはやや乗り遅れたが、ブレイザーズ決し不運続きではなかった。チーム支えクライド・ドレクスラーテリー・ポータードラフト時は特に評価され選手ではなかったが、1983年のNBAドラフト14指名したドレクスラー今やリーグ屈指のスコアラーとなり、グライダー例えられる跳躍力から繰り出されるダンク高い人気集め1985年のNBAドラフト24指名ポーター優秀な司令塔としてチーム率いた。またサム・ブーイ同時に2巡目指名されジェローム・カーシーや、1986年トレード獲得した7フッターケビン・ダックワース(やはり2巡目指名選手)はブレイザーズにとって思わぬ拾い物となり、カーシーチーム2番目の得点力を誇る欠かせないスモールフォワードとなり、ダックワースは1988年MIP受賞する急成長見せた当初思い描いていたのとはやや違った形ではあるが、順調に駒を揃えたブレイザーズは1987-88シーズンには53勝を記録。しかしプレーオフでは1回戦敗退続いたためドレクスラーとマイク・シューラーHCの間には確執生じ、翌1988-89シーズン勝率落ち込みシーズン中にシューラーはヘッドコーチ解任された。不本意なシーズン送ったブレイザーズオフ心機一転図りサム・ブーイ放出してニュージャージー・ネッツからバック・ウィリアムス獲得ウィリアムス獲得ドレクスラーことのほか喜ばせた。そしてまたもや2巡目指名だった新人クリフォード・ロビンソン予想外活躍見せリック・アデルマンHC率いられブレイザーズリーグ席巻し、このシーズンには59勝を記録したカンファレンス準決勝ではライジングチームでやはり若手選手主力を担うサンアントニオ・スパーズを第7戦の末に降し、そしてサンズカンファレンス決勝破って1977年以来13年ぶりとなるファイナル進出果たした。 このプレーオフ80年代支配したレイカーズボストン・セルティックス2強時代に完全に幕を降ろしたカンファレンス決勝レイカーズ進出しなかったのは9年ぶりのことであり、さらにファイナルレイカーズセルティックスいずれも進出しなかったのは実に10年ぶりのことである。

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