バッドボーイズの連覇と新世代の台頭
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「1989-1990シーズンのNBA」の記事における「バッドボーイズの連覇と新世代の台頭」の解説
前季念願の優勝を果たした"バッドボーイズ"ことデトロイト・ピストンズだが、リーグ拡張に伴うエクスパンション・ドラフトでリック・マホーンが放出されたことはデトロイトに大きなショックを与えた。ローポストにおける最高のディフェンダーであるマホーンを失うことは、激しいディフェンスを信条とするピストンズにとって大きな痛手となるはずだったが、チャック・デイリーHCだけは動揺せず、ジェームス・エドワーズとデニス・ロッドマンを先発に昇格させ、マーク・アグワイアをシックスマンに転向させた。ディフェンディングチャンピオンとして新シーズンに臨んだピストンズは、シーズン前半こそやや不安定な時期を過ごしたが、1月下旬から3月中旬までを25勝1敗と破竹の勢いで勝ち続け、59勝23敗でカンファレンストップの成績を収める。ロッドマンは優れたディフェンダーからリーグ最高峰のディフェンダーへと成長を遂げ、最優秀守備選手賞を獲得。得点源であるアイザイア・トーマスとジョー・デュマースはリーグ屈指のバックコートコンビとして相手チームを蹴散らし、インサイドでは相変わらずビル・レインビアが傍若無人の限りを尽くしていた。 我が世の春を謳歌していたピストンズだが、しかしプレーオフでは肝を冷やす場面もあった。毎年のようにジョーダン・ルールで叩きのめしてきたシカゴ・ブルズが、カンファレンス決勝でピストンズを後一歩のところまで追い詰めたのである。ブルズはオフにダグ・コリンズをヘッドコーチから解任し、アシスタントコーチだったフィル・ジャクソンをヘッドコーチに昇格させた。ジャクソンはマイケル・ジョーダンに頼り切りだったオフェンスの改革を進め、トライアングル・オフェンスの導入、新たなチームケミストリーの確立などで、ブルズを「プレーオフ止まりのチーム」から「優勝を狙えるチーム」へと一段階進化させた。ブルズはピストンズとのシリーズでは第7戦まで戦う粘りを見せ、最後は故障者の発生やスコッティ・ピッペンの謎の偏頭痛に泣いてピストンズの前に3年連続プレーオフ途中敗退したものの、ジョーダン時代の到来が間もないことを予感させるカンファレンス決勝となった。辛うじてブルズの挑戦を退けたピストンズは、連覇を目指して2年連続でファイナルに進出を果たした。 一方リーグトップの勝率を収めたウエストの覇者、ロサンゼルス・レイカーズは意外な場所で躓いた。1980年代序盤から中盤までのウエストはレイカーズのほぼ独り勝ち状態だったが、終盤に入るとレイカーズも下からの激しい突き上げに遭うようになり、もはやウエストはレイカーズの独走ではなくなった。それでも前季のプレーオフではレイカーズが全勝という圧倒的な強さで勝ちあがり、このシーズンもマジック・ジョンソンやジェームス・ウォージーが健在のレイカーズがファイナル進出候補の筆頭であることに変わりはなかった。 そのレイカーズをカンファレンス準決勝で破ったのはフェニックス・サンズだった。エースはベテランパワーフォワードのトム・チェンバースだったが、ケビン・ジョンソンやジェフ・ホーナセックなど活きの良い若手選手が揃っていた。サンズはチーム史上初めてレイカーズをプレーオフで破ったこととなり、またレイカーズのパット・ライリーはこの敗北を機にヘッドコーチから退いている。しかしそのサンズもカンファレンス決勝では敗れた。 カンファレンス決勝でサンズを破ったのはポートランド・トレイルブレイザーズであり、彼らもまた30歳以上のベテラン選手が1人も居ない若いチームだった。ドラフト史上最大の失態と呼ばれる1984年のNBAドラフトでのサム・ブーイの指名で、優勝戦線にはやや乗り遅れたが、ブレイザーズも決して不運続きではなかった。チームを支えるクライド・ドレクスラーとテリー・ポーターはドラフト時は特に評価された選手ではなかったが、1983年のNBAドラフトで14位指名したドレクスラーは今やリーグ屈指のスコアラーとなり、グライダーに例えられる跳躍力から繰り出されるダンクは高い人気を集め、1985年のNBAドラフト24位指名のポーターは優秀な司令塔としてチームを率いた。またサム・ブーイと同時に2巡目で指名されたジェローム・カーシーや、1986年にトレードで獲得した7フッターのケビン・ダックワース(やはり2巡目指名の選手)はブレイザーズにとって思わぬ拾い物となり、カーシーはチーム2番目の得点力を誇る欠かせないスモールフォワードとなり、ダックワースは1988年のMIPを受賞する急成長を見せた。当初思い描いていたのとはやや違った形ではあるが、順調に駒を揃えたブレイザーズは1987-88シーズンには53勝を記録。しかしプレーオフでは1回戦敗退が続いたためドレクスラーとマイク・シューラーHCの間には確執が生じ、翌1988-89シーズンは勝率が落ち込み、シーズン中にシューラーはヘッドコーチを解任された。不本意なシーズンを送ったブレイザーズはオフに心機一転を図り、サム・ブーイを放出してニュージャージー・ネッツからバック・ウィリアムスを獲得。ウィリアムスの獲得はドレクスラーをことのほか喜ばせた。そしてまたもや2巡目指名だった新人クリフォード・ロビンソンが予想外の活躍を見せ、リック・アデルマンHCに率いられたブレイザーズはリーグを席巻し、このシーズンには59勝を記録した。カンファレンス準決勝ではライジングチームでやはり若手選手が主力を担うサンアントニオ・スパーズを第7戦の末に降し、そしてサンズをカンファレンス決勝で破って1977年以来13年ぶりとなるファイナル進出を果たした。 このプレーオフは80年代を支配したレイカーズとボストン・セルティックスの2強時代に完全に幕を降ろした。カンファレンス決勝にレイカーズが進出しなかったのは9年ぶりのことであり、さらにファイナルにレイカーズとセルティックスのいずれもが進出しなかったのは実に10年ぶりのことである。
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