ジェフ・ホーナセック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 07:21 UTC 版)
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フェニックス・サンズHC時代のホーナセック
(2013年) |
|
ユタ・ジャズ | |
---|---|
役職 | コーチングコンサルタント |
所属リーグ | NBA |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
生年月日 | 1963年5月3日(61歳) |
出身地 | ![]() |
身長(現役時) | 193cm (6 ft 4 in) |
体重(現役時) | 86kg (190 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | アイオワ州立大学 |
NBAドラフト | 1986年 / 2巡目 / 全体46位[1] |
フェニックス・サンズから指名
|
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プロ選手期間 | 1986–2000 |
ポジション | SG |
背番号歴 | 14 |
永久欠番 | ジャズ 14 |
指導者期間 | 2011–現在 |
経歴 | |
選手時代: | |
1986–1992 | フェニックス・サンズ |
1992–1994 | フィラデルフィア・76ers |
1994–2000 | ユタ・ジャズ |
コーチ時代: | |
2011–2013 | ユタ・ジャズ (AC) |
2013–2016 | フェニックス・サンズ |
2016–2018 | ニューヨーク・ニックス |
2020–2022 | ヒューストン・ロケッツ (AC) |
受賞歴 | |
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NBA通算成績 | |
得点 | 15,659 (14.5 ppg) |
リバウンド | 3,646 (3.4 rpg) |
アシスト | 5,281 (4.9 apg) |
Stats Basketball-Reference.com
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ジェフリー・ジョン・ホーナセック(Jeffrey John Hornacek, 1963年5月3日 - )は、アメリカ合衆国・イリノイ州エルムハースト出身の元プロバスケットボール選手、指導者。NBAのユタ・ジャズなどで活躍した。現役時代のポジションはシューティングガード
大学時代
1981年にアイオワ州立大学に「レッドシャート」(Redshirt; スポーツ活動に集中するため1年間大学課程を引き延ばす学生)として入学したホーナセックは1982-1986年まで大学のチームでプレイしている。プロ入りを目指す選手としては珍しく奨学金やスカウトに入部を補償された選手ではなく、入学後に自ら入部を申し出ている。その後、高校のバスケットボール部のコーチの息子だったホーナセックはビッグエイトカンファレンスの選抜チームにも選ばれるほどの活躍を見せ始め、1986年にはNCAA男子バスケットボールトーナメント優勝へとチームを導いた。当時ポイント・ガードだったホーナセックはミネアポリスのメトロドームでの1戦では同点に追いつくショットを決め、延長では26フィートからのジャンプショットでアイオワ州立大学に1944年以来のトーナメント優勝をもたらした(決勝の対戦相手、マイアミ大学のシューティングガードはロン・ハーパー)。大学での通算665アシストはリーグ記録、通算1313得点はアイオワ州立大学史上最多である。
NBAキャリア

(1987年)
1986年のNBAドラフトにて2巡目全体46位でフェニックス・サンズから指名され、サンズのスター選手として活躍。1992年のNBAオールスターにも出場した。しかし自己最高成績を残したプロ6シーズン目終了後にはチャールズ・バークレーとのトレードで他2選手と共にフィラデルフィア・76ersへ移籍。シクサーズにはすでに他のシューティングガードがいた為、ホーナセックはポイントガードとしてプレイする事となった。1992-1993年のシーズンには1試合平均6.9アシストという自己ベスト記録を達成したものの、チームは26勝56敗と大きく負け越した。翌シーズン半ばの1994年2月24日にはジェフ・マローンとの交換でユタ・ジャズに移籍し、ジョン・ストックトンの横で元のシューティングガードのポジションへと戻った。1997年と1998年にはジャズのNBAファイナル出場に貢献したが、両年ともシカゴ・ブルズに敗戦し準優勝に終わった。2000年に膝のケガで引退を余儀なくされるまでジャズでプレイした。
引退後
引退後、ホーナセックの背番号14はユタ・ジャズの永久欠番となった。2007-2008年のシーズンにはジャズの特命コーチとしてアンドレイ・キリレンコ等のシュート技術向上に努めた[1][2]。2008年5月にはコーチ候補としてシカゴ・ブルズのゼネラルマネージャー、ジョン・パクソンとの面接を受けたものの、家族にかかるプレッシャーを考慮し自ら候補から辞退した[2]。現在は妻と三人の子供とアリゾナ州に住む。
指導者としてのキャリア
2011-12シーズンよりユタ・ジャズのアシスタントコーチを務めた後2013-14シーズンよりフェニックス・サンズのヘッドコーチに就任。惜しくもプレーオフ進出は逃したものの、レギュラーシーズン48勝34敗を記録し、NBA最優秀コーチ賞の投票では、受賞したサンアントニオ・スパーズのグレッグ・ポポヴィッチに続く2位にランクされた。しかし、翌2014-15シーズンは39勝43敗に終わり、2015-16シーズンも低空飛行が続き、2016年1月30日に解任された。
2016年5月18日にニューヨーク・ニックスのヘッドコーチに就任した[3]。2018年4月12日、ニックスからヘッドコーチの職を解任された[4]。
プレースタイル
ガードの選手としては極めて高いキャリア平均49.6%のフィールドゴール成功率を始め、40.3%の3ポイント成功率、NBA史上12位[5]の87.7%のフリースロー成功率を記録した優秀なシューターであった。身体能力は特筆すべきものはなかったが、頭脳明晰で高い洞察力を武器に12年連続二桁得点をマークし、最終シーズンにはキャリアハイかつシーズン1位の95.0%のフリースロー成功率を達成するなど引退するまで安定したスタッツをマークした。
1994年11月23日のシアトル・スーパーソニックス戦では当時のNBA記録となる1試合中8回連続の3ポイントシュートを決めた。同シーズン1994年12月30日から1995年1月11日にかけてNBAタイ記録となる11回連続の3ポイントシュートも決めている。
フリースローの名手としても知られるホーナセックは1999年11月12日から2000年1月6日までの試合で67回連続でフリースローを成功させている。フリースロー前に3回頬を摩るルーティーンも注目を浴び、自身はこの動作は3人の子供への挨拶だと説明している[6]。
個人成績
略称説明 | |||||
---|---|---|---|---|---|
GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | PPG | 平均得点 | 太字 | キャリアハイ |
リーグリーダー |
NBA
レギュラーシーズン
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986–87 | PHX | 80 | 3 | 19.5 | .454 | .279 | .777 | 2.3 | 4.5 | .9 | .1 | 5.3 |
1987–88 | 82 | 49 | 27.4 | .506 | .293 | .822 | 3.2 | 6.6 | 1.3 | .1 | 9.5 | |
1988–89 | 78 | 73 | 31.9 | .495 | .333 | .826 | 3.4 | 6.0 | 1.7 | .1 | 13.5 | |
1989–90 | 67 | 60 | 34.0 | .536 | .408 | .856 | 4.7 | 5.0 | 1.7 | .2 | 17.6 | |
1990–91 | 80 | 77 | 34.2 | .518 | .418 | .897 | 4.0 | 5.1 | 1.4 | .2 | 16.9 | |
1991–92 | 81 | 81 | 38.0 | .512 | .439 | .886 | 5.0 | 5.1 | 2.0 | .4 | 20.1 | |
1992–93 | PHI | 79 | 78 | 36.2 | .470 | .390 | .865 | 4.3 | 6.9 | 1.7 | .3 | 19.1 |
1993–94 | 53 | 53 | 37.6 | .455 | .313 | .873 | 4.0 | 5.9 | 1.8 | .2 | 16.6 | |
UTA | 27 | 9 | 30.6 | .509 | .429 | .891 | 2.5 | 3.9 | 1.2 | .1 | 14.6 | |
1994–95 | 81 | 81 | 33.3 | .514 | .406 | .882 | 2.6 | 4.3 | 1.6 | .2 | 16.5 | |
1995–96 | 82 | 59 | 31.6 | .502 | .466 | .893 | 2.5 | 4.1 | 1.3 | .2 | 15.2 | |
1996–97 | 82 | 82 | 31.6 | .482 | .369 | .899 | 2.9 | 4.4 | 1.5 | .3 | 14.5 | |
1997–98 | 80 | 80 | 30.8 | .482 | .441 | .885 | 3.4 | 4.4 | 1.4 | .2 | 14.2 | |
1998–99 | 48 | 48 | 29.9 | .477 | .420 | .893 | 3.3 | 4.0 | 1.1 | .3 | 12.2 | |
1999–00 | 77 | 77 | 27.7 | .492 | .478 | .950* | 2.4 | 2.6 | .9 | .2 | 12.4 | |
通算 | 1,077 | 910 | 31.5 | .496 | .403 | .877 | 3.4 | 4.9 | 1.4 | .2 | 14.5 | |
オールスター | 1 | 0 | 24.0 | .714 | .500 | --- | 2.0 | 3.0 | 1.0 | .0 | 11.0 |
プレーオフ
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | PHX | 12 | 12 | 31.2 | .497 | .000 | .840 | 5.8 | 5.2 | 1.3 | .3 | 14.1 |
1990 | 16 | 16 | 36.4 | .511 | .250 | .932 | 3.9 | 4.6 | 1.5 | .0 | 18.6 | |
1991 | 4 | 4 | 36.3 | .431 | .500 | .929 | 6.3 | 2.0 | .8 | .5 | 18.3 | |
1992 | 8 | 8 | 42.9 | .484 | .471 | .912 | 6.4 | 5.3 | 1.8 | .3 | 20.4 | |
1994 | UTA | 16 | 16 | 34.9 | .475 | .441 | .912 | 2.4 | 4.0 | 1.5 | .4 | 15.4 |
1995 | 5 | 5 | 35.6 | .510 | .538 | .786 | 1.2 | 4.0 | 1.6 | .2 | 14.0 | |
1996 | 18 | 18 | 35.8 | .502 | .586 | .890 | 3.6 | 3.3 | 1.1 | .2 | 17.5 | |
1997 | 20 | 20 | 35.2 | .433 | .358 | .876 | 4.5 | 3.7 | 1.1 | .2 | 14.6 | |
1998 | 20 | 20 | 31.8 | .416 | .467 | .846 | 2.5 | 3.2 | 1.0 | .2 | 10.9 | |
1999 | 11 | 11 | 27.6 | .462 | .389 | .879 | 3.7 | 2.4 | 1.0 | .0 | 12.2 | |
2000 | 10 | 10 | 29.7 | .422 | .409 | .833 | 3.0 | 3.3 | 1.0 | .0 | 11.5 | |
通算 | 140 | 140 | 34.0 | .470 | .433 | .886 | 3.8 | 3.8 | 1.2 | .2 | 14.9 |
ヘッドコーチ成績
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
NBA
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
PHX | 2013–14 | 82 | 48 | 34 | .585 | パシフィック3位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
2014–15 | 82 | 39 | 43 | .476 | パシフィック3位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 | |
2015–16 | 49 | 14 | 35 | .286 | (解任) | — | — | — | — | — | |
NYK | 2016–17 | 82 | 31 | 51 | .378 | アトランティック3位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 |
2017–18 | 82 | 29 | 53 | .354 | アトランティック4位 | — | — | — | — | プレーオフ不出場 | |
通算 | 277 | 161 | 216 | .427 | — | — | — | — |
記録
- アイオワ州立大学
- 通算アシスト数:665
- 通算スティール数:211
- 1シーズンアシスト数:219 (1985-86シーズン;歴代2位)
- 1シーズン1試合平均アシスト数: 6.83 (1984年;歴代2位)
- NBA
- 出場試合:1,077
- 出場時間:33,959分
- 得点:15,659 (1試合平均14.5)
- アシスト:5,281 (1試合平均4.9)
- スティール:1,536 (1試合平均1.43)
- NBAオールスターゲーム出場 (1992年)
脚注
- ^ "Kirilenko plays best game of the season: Hornacek credited for big improvement in shooting prowess". - Deseret Morning News. - 2008年1月26日. - Retrieved: 2008-06-16
- ^ a b Hanley, Brian. - "Hornacek was 'player-coach'". - Chicago Sun-Times. - 2008年5月26日. - Retrieved: 2008-06-16
- ^ Knicks Hire Jeff Hornacek As Head Coach
- ^ “JEFF HORNACEK RELIEVED OF HEAD COACHING DUTIES” (英語). NBA.com (2018年4月12日). 2018年4月13日閲覧。
- ^ "Career Leaders and Records for Free Throw %". - Basketball-Reference. - 2007-08-23
- ^ "Changing teams: Hornacek will trade NBA for family". - CNN/Sports Illustrated. - (CNNSI.com). - Wednesday, April 26, 2000.
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM
- HC通算成績と情報 NBA Head Coaches、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM
固有名詞の分類
アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 |
リッチー・ゲリン ジーン・シュー ジェフ・ホーナセック スティーブン・ハンター ユドニス・ハスレム |
アメリカ合衆国のバスケットボール選手 |
ムーチー・ノリス ジーン・シュー ジェフ・ホーナセック スティーブン・ハンター ユドニス・ハスレム |
フィラデルフィア・セブンティシクサーズの選手 |
ジェフ・ホーナセック スティーブン・ハンター アーチー・クラーク アンドレ・イグドラ テオ・ラトリフ |
フェニックス・サンズの選手 |
ウォルター・デイビス ジェフ・ホーナセック スティーブン・ハンター エリオット・ペリー スティーブ・カー |
ユタ・ジャズの選手 |
ジェフ・ホーナセック リッキー・グリーン ポール・ミルサップ ピート・マラビッチ ゴーダン・ギリチェック |
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