スピリチュアリズムとの出会いとは? わかりやすく解説

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スピリチュアリズムとの出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/14 18:23 UTC 版)

ウィリアム・ステイントン・モーゼス」の記事における「スピリチュアリズムとの出会い」の解説

1869年30歳重病罹り治療受けたスピーア博士一家親交を結ぶ。スピーア夫人が熱心なスピリチュアリストだったため、初めスピリチュアリズム関心を持ついくつかの交霊会霊媒ヒュームにも会っている)に出席するうちに、死後存続について確信を持つようになったその後モーゼス自身霊能力発揮するようになり、初期は重い物体動いたり、その場にない品物が突然現れたり(アポーツ)、芳香漂ったり、モーゼス空中浮遊するなどの物理的な現象起きたが、後に哲学的なメッセージ主体のものへと移行していった。 1870年、再び牧師として働き始めるが、間もなく病気再発したため牧師辞職この頃からスピーア博士息子家庭教師7年続けた。「心霊主義英国協会 British National Association of Spiritualism, BNAS」にも参加1871年ロンドンにある大学英語教師になる。 1873年、自らの自動書記で、インペレーター(インペラトール)という霊からの通信受け取り始める。当時イギリス心霊主義では、死者の霊との交信が行われ、のちのチャネリングのような未知の上位者との交信はほとんど見られなかったが、例外的にインペレーターは未知の上位者の霊とされた。これについてジョスリン・ゴドウィンは、近代神智学創世期にヘレナ・P・ブラヴァツキーが「ラクソールクソール同胞団」のマスターとして言及した存在同様の超越的存在ではないか指摘した吉永進一は、当時心霊主義オカルティズム境界は現在考えるほど判然としていなかったのではないか述べ超越的存在死者をもってすることは、人間中心主義延長ではないか指摘している。 1882年マイヤース親交結んでいたが、心霊現象研究協会創設に際して助言与えるなど協力し会員として参加。スピーア博士も共に参加した1883年、1871-1882年の間のノート24冊分にのぼる膨大な自動書記から抜粋編集して、のちに世界三大霊訓の1つ評価されることになる[要出典]『霊訓』を出版牧師だったモーゼスと、インペレーターと名乗る霊との、既成宗教に関する真剣な論争記録であるとされている。 1884年ロンドン心霊協会London Spiritualist Alliance, LSA 設立 1886年心霊現象研究協会脱会協会現象ばかりを重視することに不満を持っていたが、協会がひとりの霊媒トリックだと発表したのを機に役員辞めた1889年病気のため大学教師辞職晩年痛風神経痛うつ病全身疲憊眼病腎臓病、さらに数回インフルエンザ闘い1892年53歳死去した自動書記ノートマイヤース遺託

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スピリチュアリズムとの出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:18 UTC 版)

エマ・ハーディング・ブリテン」の記事における「スピリチュアリズムとの出会い」の解説

直接きっかけとなった事件1856年起こったエマ米国劇場出演するため、母と共に汽船パシフィック号」に乗って海を渡った船旅の間に母子乗務員たちとすっかり親しくなった。 後日エマパシフィック号運んでくる予定小荷物受け取りに港に行ったが、「嵐のため船の到着遅れている」と知らされ手ぶらで宿に帰った。その晩エマは霊の存在感じて驚き、母に相談した。すでにハイズビル事件知っていた母はテーブルの上アルファベット書いた紙を置き、エマに霊と交信させた。 得られメッセージは、「パシフィック号フィリップ・スミスだ。エマ、私が死んだことを知らせに来た。パシフィック号遭難して乗員全員死亡した。船と乗員行方については、今後いっさい何の手がかり得られないだろう」というものだったエマメッセージ疑ったまま眠れぬ一夜過ごし翌朝霊媒ケロッグ夫人ところに行ってみた。夫人エマに会うなりトランス状態になり、同じメッセージ語ったパシフィック号遭難は後に確認されたという。 この事件の後エマスピリチュアリズム運動身を投じ霊媒能力パフォーマンス才能生かして積極的に交霊会講演旅行行った。なお一時期神智学創始者ヘレナ・ブラヴァツキー夫人(1831-1891)にも接近するが、すぐに疎遠になっている。

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