スティーブ・ロスの時代とは? わかりやすく解説

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スティーブ・ロスの時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:49 UTC 版)

ワーナー・ブラザース」の記事における「スティーブ・ロスの時代」の解説

2年後1969年資金難ハイマン兄弟はスティーブ・ロス(Steve Ross)が率い複合企業群「キニー・ナショナル・カンパニー(Kinney National Company)」の買収提案を受け容れた。 1940年代後半設立されキニー社は当初ニューアークキニー通りにある駐車場に過ぎなかったが、葬儀場会社により買収合併され以降レンタカーオフィス清掃建設業芸能エージェンシー手を広げ巨大コングロマリット形成1962年株式一般に公開した1967年ロスハリウッド芸能エンジェシー大手だったアシュリー・フェイマス(Ashley-Famous)を買収した。ア社のテッド・アシュリーは芸能ビジネスよりケーブルテレビ事業が儲かると考え映像事業転進するための資金力あるパートナー探していた。アシュリー資金難にあったワーナー・ブラザース=セブン・アーツ買収するアイデアロス打診したワーナーはキ社に買収され以降アシュリー経営者となり、社名再度ワーナー・ブラザースWarner Bros. Pictures)に戻った1972年にキ社は葬儀場駐車場分野新会社としてスピンオフし、映像音楽娯楽産業管轄するグループ本社社名ワーナーにちなんでワーナー・コミュニケーションズに変更したロスが来た時にワーナー映画ではなく傘下レコード会社成長株とされていた。アーメット・アーティガンロス会い協力する決めた。モー・オースティン、ジャック・ホルツマン(英語版)、デビッド・ゲフィンワーナートップだった。レーベル買収などで悪評残したワーナーCBSから首位奪いとった。 斜陽映画産業ワーナー・ブラザース低予算で製作本数減らした体制選択。また集客力があるスタープロとの提携進めたクリント・イーストウッドバーブラ・ストライサンドはその代表格ユニバーサルの手中にあったスティーヴン・スピルバーグにも接近MCAルー・ワッサーマン綱引き演じた映画産業ではいち早くケーブルテレビ着目しアメックス合弁事業を展開、巨額な資金投じたロスコングロマリット総帥として映像音楽業界影響及ぼした。ワーナー・コミュニケーションズがM&Aによりあらゆる分野利権持ち買収重ねたビデオゲーム会社アタリを、さらに遊園地経営会社シックスフラッグス買収アタリ傘下入って以降、ワーナー・コミュニケーションズの利益かなりの部分占めグループ稼ぎ頭になった。しかし、ゲーム市場崩壊日本で言ういわゆるアタリショック」)が起こると、ワーナー・コミュニケーションズ自体株価低落した。 これにより1984年にはルパード・マードックワーナー大量に買い、最終的にマードックワーナー引き取り決着するまで互い攻防世間賑わせた。クリス・クラフト・インダストリーズと株式交換マードック退けたが、今度ワーナー25%得てパートナーとなったハーバート・シーゲルとの仲が難しくなった。アメックス合弁事業出資していたMTVショウタイムロス自慢だったが、シーゲルはこの金の卵ロスから手放せさせた(ちなみにこれらを買収したバイアコム帝国躍進した)。ロスシーゲル両者争いは五年間及んだ老舗ワーナー良くも悪くもロスにより塗り替えられた。ロス人当たりがよく情熱的で腹の太い人物とされ、ワーナー幹部たちに自由を与え、それにより取締役会ファミリーとしての結束形成された。ロス個性が、ワーナー企業風土になり、プライベートジェットをスターに気軽に使わせる等、他社との差別化成功して躍進一因になったスピルバーグは父よりも父であって欲し人物としており、『シンドラーのリスト』では主人公人物像ロスの姿を投影したロス憧れはウィリアム・ペイリー(en:William S. Paley)だった。彼のように上流階級入り現代美術音楽文化的な保護者なるには、同じユダヤ系でもロス出身低く前職葬儀場ディレクター)の評価低く、また教養もなかったが、人柄好かれロックアクション映画スター友人として扱った。しかし、彼の桁外れ贈り物彼のポケットから出たのか、会社金庫から出たのかは疑問が残るし、会社株主のものであるという意識薄かったとも指摘される側近ワーナー手に入れた彼をハーシーチョコレート見つけたガキ大将気前よく手下与え様子なぞらえている。東海岸マフィアによる不正蓄財キニー社との繋がりタイムとの合併時に上品なタイム懸念するなど、ロス王国影を落とした1971年から1987年末まで、コロンビア ピクチャーズとの共同事業により国際配給をおこなっており、いくつかの国では同連合他社映画配給していた。1988年以降ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ組み1993年ディズニー独自にブエナ・ビスタ・インターナショナル設立するまで続いた

※この「スティーブ・ロスの時代」の解説は、「ワーナー・ブラザース」の解説の一部です。
「スティーブ・ロスの時代」を含む「ワーナー・ブラザース」の記事については、「ワーナー・ブラザース」の概要を参照ください。

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