ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス結成とは? わかりやすく解説

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ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス結成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 03:29 UTC 版)

ジミ・ヘンドリックス」の記事における「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス結成」の解説

1966年7月アニマルズベーシストだったチャス・チャンドラーに見いだされ9月渡英するチャンドラーヘンドリックス情報もたらしたのは、キース・リチャーズローリング・ストーンズギタリスト)の恋人だったリンダ・キースである。当時ヘンドリックス単なるバックミュージシャン脱し、自らのバンド「ジミー・ジェームズ・アンド・ザ・ブルー・フレイムズ」を率いていたが、チャンドラースカウトされたのはヘンドリックス1人けだったチャンドラーヘンドリックス演奏初め聴いた際、「ギタリストが3人くらい同時に演奏しているのかと思ったが、実際にジミ1人だけと知り驚いたこれほど才能誰もまだ気がついていなかったなんて、何か裏があるのではないか不安になるほどだった」と感じたという。チャンドラー渡英勧められヘンドリックスイギリス自分のようなブルースミュージシャン受け入れられる不安だったらしく、イギリスの音楽シーンについて多く質問投げかけた。そして、自分と同系みなしていたイギリス人ギタリストエリック・クラプトンの名を挙げ会わせてくれるか?」とチャンドラー尋ねている。チャンドラーは「君の演奏聴いたら彼(クラプトン)の方から会いに来るよ」と答えている。 ロンドンに於いてオーディション行いノエル・レディングベース)、ミッチ・ミッチェルドラムスと共にザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を結成1966年10月から活動始める。この際に名前をジェームズジミーJamesJimmy)から、ジミ(Jimi)に変えたイギリス国内クラブ出演重ね一方ポリドール系のトラックレコードからデビューシングルHey Joe / Stone Free」が全英4位のヒット記録したHey Joe”. Tom Simon's Rock-and-Roll Page. 2009年7月25日閲覧。 。 アメリカ伝統的なブルースベースしながらそれまで誰も聞いたことのなかった斬新なギターサウンドや卓越した演奏技術、そして圧倒的なインプロビゼーション披露することにより、ヘンドリックス一般音楽ファンはもちろんプロミュージシャン達にも大きな衝撃与えた渡英たばかりヘンドリックス演奏初め目の当たりにしたエリック・クラプトンは「誰もジミーJimmy)のようにギターを弾くことはできない」という言葉を残している。後年ジェフ・ベックは、「(メジャーデビューたばかりヘンドリックス演奏聴いて廃業考えた」と語っている(英国BBC音楽番組インタビュー)。ヘンドリックスステージには連日ビートルズローリングストーンズなどのメンバー顔を見せ出演するクラブには長蛇の列ができたという。この当時から本人特徴となっていた、大きく歪んだ大音響駆使する演奏は、後のハードロック原型という意見がある。現代ではありふれているが、この当時過激な歪み前面打ち出した演奏自体存在しなかったと言って良い時代にあったという意見がある。 1967年の夏、ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは米カリフォルニア州モンタレー開催され世界初本格的野外ロックフェスティバルモンタレー・ポップ・フェスティバル出演。これは同フェスティバルイギリスでの世話役だったポール・マッカートニービートルズ)が、「ジミ出さないフェスティバルなどありえない」と熱心に推挙したためと言われるヘンドリックスモンタレーで、演奏ギター燃やしパフォーマンス炸裂させ、母国アメリカで一気スターダムにのし上がったイギリスデビューしたヘンドリックスだが、モンタレー出演など母国アメリカで成功収めた後は、アメリカ本拠として活動するようになった全米くまなくツアーする過密スケジュール合間スタジオでのレコーディング続け1968年アルバムエレクトリック・レディランド』をリリースしたヘンドリックス演奏技術高かっただけではなくギターを歯で弾いたり、あたかも男性器のように扱ったりした末、床に叩き付け火を放つなど、激しくセクシーなステージアクションも人気要因だった。また、古い軍服を身につけ(ミリタリー・ファッション)、強くパーマをかけた独特のヘアスタイル(エレクトリック・ヘア)をトレードマークにするなど、ファッション面でも注目集めた。そのため「ブラック・エルヴィス」(黒人エルヴィス・プレスリー)、「ワイルドマン」といった異名生まれセンセーショナルな扱いを受けることが多かった。しかし生身ヘンドリックスシャイ礼儀正しい人物だったという証言も多い。マイルス・デイヴィスによればヘンドリックス世間ワイルドなイメージとは逆だったという。 後年ヘンドリックスは、観客から激しいステージアクションやギター破壊などばかり求められ演奏集中できないこと悩んでいたという 黒人ありながら白人向けのロックスターとして売り出されたのも異例なことだった。スライ黒人受け入れられたが、ジミ受け入れられなかった。さらには黒人運動家とそれをなだめた白人政治家両方が、黒人なのに白人支持されているヘンドリックス立場利用したがっていたと言われるヘンドリックス自身はあまり政治的な人間ではなかったが、暗殺され黒人指導者キング牧師のために寄付行ったこともある。ヘンドリックス同胞である黒人層に今ひとつ受け入れられないことに悩んでいた(ビリー・コックス談話)が、マネージメント側はヘンドリックスあくまでも白人向けロックスターとして売っていく方針だったといわれる

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