ザ・ジャム時代 (1977年 - 1982年)
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1977年にザ・ジャムのボーカリスト、ギタリストとしてデビュー。当時流行のパンク/ニュー・ウェイヴの人気バンドとなった。 ザ・ジャムはポール・ウェラーの生まれたロンドン郊外サリー、ウォキングでビートルズなどのカバーをしていたパーティ・バンドであった。結成当時はポール・ウェラーがベース、ブルース・フォクストンとスティーヴ・ブルックスがギター、リック・バックラーがドラムスというフォーピースであったが、スティーヴの脱退と共にポールがギターを、ブルースがベースを担当するようになる。 セックス・ピストルズのライブにインスパイアされ、バンドは徐々にモータウンなどのR&Bを高速で演奏するスタイルに変化。やがてオリジナル中心となり、1977年4月29日にファースト・シングル「イン・ザ・シティ」をリリースすると、いきなりナショナルチャート入りを果たす。パンクを基調にしたサウンドながら当時のパンクスとは違い全員がおしゃれなスーツを纏って演奏するクールなスタイルと、ウェラーのキンクス、スモール・フェイセス、ザ・フーといったモッズアーティストに追随する姿が受け、「モッズ・リバイバル」と呼ばれるブームを巻き起こす。ジャムは順調にヒットを飛ばして成長を遂げ、1980年3月には10枚目のシングル「ゴーイング・アンダーグラウンド」が全英1位に輝き、全英ナンバーワンバンドと言われるほど絶大な人気を集めた。 ウェラーの音楽志向はその後さらにR&Bやファンクをはじめとする黒人音楽に傾倒した展開を見せ、大胆なホーンセクションの導入などにそれが顕著となって表れる。モータウンへのリスペクトをダイレクトにあしらったシングル 「悪意という名の街」 が全英1位を獲得するなどバンドは国民的な人気を維持するが、ウェラーはこの頃から自らの音楽性の変化がもはやジャムでは表現し切れなくなってきたことに限界を感じ始める。結局1982年3月リリースの6thアルバム『ザ・ギフト』を最後にウェラーは電撃的にバンドの解散を決意。6年の活動期間を経て、ジャムはその絶頂のうちに幕を下ろすこととなった。最期のギグは1982年12月11日にモッズの聖地であるブライトンで行われた。
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