ザボーガーの詳細
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 05:41 UTC 版)
参考文献:DVD-BOX付属ブックレット、『スペクトルマンvsライオン丸』、『電人ザボーガー大全』、『電人ザボーガー&ピー・プロ特撮大図鑑』 本作品はピー・プロダクション製作となっているが、ピー・プロが直接製作したわけではなく、ピー・プロから友映に製作が委託されていた。DVD-BOX付属のブックレットに掲載されている、局プロデューサー・別所孝治の談話によると、この当時のピー・プロは新作を作るごとに赤字が増える状態にあり、このような形にしなければ製作が難しいところまで来ていたという。 それまでのピー・プロ作品を担当してきた篠原茂が当初病床にあったため、大映京都撮影所の制作部長だった友映の松原久晴をプロデューサーに迎え制作された。しかし、彼の予算管理が非常にケチケチしていて、試写のたびに現場スタッフとプロデューサーとの間に険悪なやり取りがあり、うしおそうじも板挟み状態だったとのことである。 「原作者」として小池一雄の名がクレジットされているが、うしおによれば、当時フジテレビの夜7時台はピー・プロの独占状態となっており、なにかと他のプロダクションの横槍も多かったそうで、それをかわすためにワンクッションを入れ、企画の通りを良くするために業界の慣習に倣い、単に名義を借りただけであり、「番組そのものに小池はまったくタッチしていない」とのことである。脚本を担当した上原正三も小池には会っていないと証言している。 企画当初の作品タイトルは『仕掛けロボット ジュピターQ』で、第1話の準備稿でもこの題名となっていた。 ザボーガーのデザインや各種の設定は、『鉄人タイガーセブン』に引き続き、漫画家の藤田茂が務めた。敵キャラクターのデザインは、うしおそうじのほか、『ザボーガー』のコミカライズを手がけていた成井紀郎(第18・19・23 - 39話、その他ジャンボメカや秋月玄、マシーン・ホークも含む)や、安井尚志(コンピューターアニマルなど)などが担当した。 菊池英一は当初は殺陣師として参加を依頼されたが、菊池本人は殺陣師ではないとして俳優としての出演を希望し、中野刑事役を得て殺陣師と兼任することとなった。クレジットは両方記載されているが、菊池は「殺陣師はサービスで」としたためギャラは中野刑事役としての分しか受け取っていない。 菊池は、この番組のために一時的にアクションチームを結成し、幹部やスーツアクターの配役も行なった。その関係から、かつて菊池が所属しピープロ制作番組のアクションを担当したJFAの元メンバーが遠矢孝信を筆頭に多数起用されている。 脚本家の上原正三は、前作『鉄人タイガーセブン』から引き続いて参加したが、第19話を最後に降板した。上原は降板した理由について、ある程度書くと離れたくなる性格であったところに、東映からの誘いがあったためだとしている。主題歌の作詞も上原が担当したが、当時上原は自宅を購入したばかりであったため版権収入を期待してのことであった。 パイロット監督を務めた奥中惇夫は、仮面ライダーシリーズや『ロボット刑事』などを担当した後に東映生田スタジオを離れて様々なジャンルの作品を経て本作品へ参加していたが、東映の渡邊亮徳から「他社で似たようなものを撮っているなら、うち(東映)でやったらいい」と言われ、本作品を離れ『がんばれ!!ロボコン』へ参加した。 マシーン・ホークのカウル部分が鷹のような形状をしているのは、当初はザボーガー同様にロボットに変形する設定があったためだが、予算や撮影スケジュールの都合でロボット形態は登場せずに終わっている。 悪魔ハットを演じた遠矢孝信は、日本大学の先輩である殺陣担当の菊池英一がいたためピー・プロを訪ねたところ、ちょうど打ち合わせで悪魔ハットのオーディションが行なわれていて、参加した俳優が帰った後にうしおから台本を渡されて、その場で配役が決まってしまった。同時に菊池から「役作りのためにスキンヘッドにしてくれ」と頼まれ、頭を剃ることには了承したものの、さらに眉毛を剃るように要求され、これはさすがに固辞したという。以後、撮影の行き帰りには通行人がみんな避けて通ったそうである。 第49話で少年時代の大門を演じたのは本職の子役ではなく、山口暁の甥にあたる少年だった。これは山口が村石に「そういうシーンがあるのなら使ってください」と写真を持参して売り込んだことによるもの。また同話には、監督と親交のあった小倉一郎が牧師役でゲスト出演している。 第51・52話で、恐竜軍団による「六大陸沈没作戦」の尖兵として出現した恐竜が石油コンビナートを破壊するシーンでは、『スペクトルマン』第32・33話の映像が流用されている。 放送終了後にはハワイでショーが開催された。主演の山口やザボーガーの撮影用車輌なども投入され、担当の成田五十八は好評であったと証言している。このショーでは成田はエー企画名義で担当し、その後イベント会社として正式にエー企画が立ち上げられた。
※この「ザボーガーの詳細」の解説は、「電人ザボーガー」の解説の一部です。
「ザボーガーの詳細」を含む「電人ザボーガー」の記事については、「電人ザボーガー」の概要を参照ください。
- ザボーガーの詳細のページへのリンク