殺陣師として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 10:22 UTC 版)
林が20代で殺陣師となった当時、武術の動きを殺陣に取り入れる場合はその武術の専門家が呼ばれていた。林は「殺陣師なら本当の武術を学ぼう」との思いから、全国各地の武術家に入門し、柳生新陰流などの剣術の各流派、柔術や琉球古武術、合気道、太極拳(武道本流の楊式太極拳=内神道)や太極刀などの武術の修行を重ねた。林はこれらの修行を通じて「強くなることより、自分に勝つことの大切さを学びました」と語る。 振り付けでは、専門家の時代考証をもとに武術の流派や役者の個性を生かした動きを考えるという。また「殺陣師は、剣術や武術に長けてる者が就ける仕事だと誤解をされているが、殺陣師で武術を修めている者は少ない。」と語り、自分の道場を持って弟子を育てている殺陣師は林を含め、2人しかいないとのことである。 また、林は全日本刀道連盟首席師範を務め、埼玉県朝霞市に自らの道場「武劇館道場」を設立、道場では独自の段位を定め、10年程度で一人前の殺陣師となれるように弟子達に指導を行っていた。
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