殺陣の技法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 03:17 UTC 版)
戦前の邦画アクションは時代劇の殺陣が中心で、現代活劇のアクションには技斗という名称もまだなく傍流の位置づけであった。映画『子連れ殺人拳』(1976年)や『激殺! 邪道拳』(1977年)では、主演・千葉真一と戦闘相手のジャパンアクションクラブの演者は実際に殴打技・蹴り技を打撃し合い、これらをノーマルスピードからハイスピードへ切り替わりながらワンカットで撮影された。当時はCGがなかったためにこの技法が採用され、信憑性と凄みのある映像となっている。ほかにも映画監督・五社英雄は斬られた時の効果音の開発や、鉄身を使って刃引きはしてあるものの重量は真剣と同じものを使用し、夏八木勲を主演に据えた時代劇映画『牙狼之介』(1966年)と『牙狼之介 地獄斬り』(1967年)では、様式美的な殺陣とは対極的なリアル感を表現していた。夏八木は「東映京都撮影所では竹光を使うが、五社さんの場合は鉄身だから刀と刀がぶつかると『パシャーン』といい音がして、火花が散ることもあった。五社さんは『刀は本当に当てろ。当てないと噓になるからな』と指示してくるのに対して、東映では腹すれすれで斬ったように見せる流儀があった」と様々な手法があることを語っている。 殺陣の類似例としては、西洋劇のステージ・コンバット(stage combat)があり、これは本当に攻撃や防御を行っているように効果的かつ安全に戦闘シーンを見せる技術をいう。 1920年代から30年代のサイレント映画の俳優はスタントマンさながらの演技を行っていた。1923年の『要人無用』で主演を務めたハロルド・ロイドは、別の映画作品の撮影中に指を欠損する事故を負いながらも、時計台にぶら下がるアクションシーンを演じた。サイレント映画にはセリフがなく俳優の体当たりのアクションが演技の原点となっていた。その後、西部劇が登場したが、西部劇の格闘シーンはベア・ナックル・ファイトと呼ばれ、日本の現代活劇の殺陣にも影響を与えた。さらに、1970年代のブルース・リーの『燃えよドラゴン』(1973年)などの格闘シーンは、その後のアクション・スタイルを一変させたといわれている。
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