コーカサス、西アジア諸国との戦争とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > コーカサス、西アジア諸国との戦争の意味・解説 

コーカサス、西アジア諸国との戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 19:12 UTC 版)

ジャラールッディーン・メングベルディー」の記事における「コーカサス、西アジア諸国との戦争」の解説

1224年から1225年にかけてジャラールッディーンはフジスタン(チグリス川下流近辺地域)のアッバース朝領に侵入し略奪とフジスタンの中心都市シューシュタル包囲行った。フジスタン侵入の後にバグダード進軍するが、進軍先立ってジャラールッディーンはダマスカス・アイユーブ朝の王侯アルムアッザムアッバース朝への攻撃誘いかけた。書簡には、アッバース朝のカリフ・ナースィルがモンゴル軍扇動してホラズム・シャー朝攻撃させたことへの非難書かれていたが、ムアッザム攻撃要請には応じなかった。彼は単独軍事行動を行わなければならなくなったが、寡兵をもって将校クシュ・ティムールが率い20,000人のアッバース朝軍を破りイラク北部のダクーカーを攻略したアッバース朝援軍要請応じたイルビル支配者ムザッファルの進軍を知ると、少数兵士引き連れて奇襲行い、ムザッファルを捕虜とした。結局バグダード攻撃行われずジャラールッディーン攻撃先をアゼルバイジャンへと変えたアゼルバイジャンへの行軍中に叔父ヤガン・タイシの軍を併合し1225年タブリーズ首都とするアタベク政権イルデニズ朝イル・ドュグュズ朝イルデギズ朝)を滅ぼしたイルデニズ朝君主ムザッファル・ウッディーン・ユズベクの妻に占領地統治委任し次いでキリスト教国であるグルジア王国遠征向かった1225年から1226年3月にかけてのグルジア遠征は、タブリーズでの反乱鎮圧のために一時中断されたが、王国首都ティフリス占領成功しジャラールッディーンイスラム世界防衛者として名を上げたアイユーブ朝王侯アルアシュラフ統治するアフラート(英語版)(ヒラート)に進軍するが、アフラート到着直後ケルマーンバラク反乱企てている報告を受け、急いでケルマーン引き返したジャラールッディーン進軍知ったバラク改め臣従意思示しジャラールッディーンバラク許し与えたバラク反乱後城砦立て籠もったグルジア王国残兵ホラズム軍の略奪を嫌うアゼルバイジャン住民の抵抗に手を焼き、アフラートの攻略不首尾に終わる。そして、ホラズム・シャー朝東部モンゴル大軍現れる開戦の前、ギヤースッディーン怨恨のために軍隊率いて離反する事件起きるが、ジャラールッディーン不測の事態動じなかった。1227年8月26日イスファハーン城外モンゴル軍迎え撃ちモンゴル軍左翼敗走させるが、勝利後に再度行った突撃モンゴル軍伏兵によって阻まれホラズム軍は潰走する。勝利したモンゴル軍被害大きく、彼らはイスファハーンへの攻撃行わず退却したが、ジャラールッディーン行方知れず廷臣イスファハーン市民中には彼が死んだ考える者もいた。ジャラールッディーン代わる君主擁立される直前、彼は民衆前に姿を現し彼の姿を見た群衆歓喜沸いたという。 一方コーカサス地方ではジャラールッディーン対抗するべく、グルジア人キプチャク人アラン人などの民族連合組んでアッラーン地方北部集結しており、その兵力40,000人に及んだホラズム軍の兵力連合軍に劣るものであったが、ジャラールッディーン宰相シャラフ・アル=ムルク兵糧攻め持ち込むべきだという提案却下し正面から衝突した連合軍のうち20,000占めキプチャク人に対しては、かつて彼らがホラズム軍の捕虜となった時にジャラールッディーンが彼らの助命嘆願した恩を説いて撤退させ、グルジアには両軍戦士による一騎討ち提案した翌日行われた試合ではジャラールッディーン自らが5人のグルジア兵を討ち、その余勢を駆ってグルジア軍勝利した

※この「コーカサス、西アジア諸国との戦争」の解説は、「ジャラールッディーン・メングベルディー」の解説の一部です。
「コーカサス、西アジア諸国との戦争」を含む「ジャラールッディーン・メングベルディー」の記事については、「ジャラールッディーン・メングベルディー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「コーカサス、西アジア諸国との戦争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コーカサス、西アジア諸国との戦争」の関連用語

コーカサス、西アジア諸国との戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コーカサス、西アジア諸国との戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジャラールッディーン・メングベルディー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS