コーカサスとスターリングラードの攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/19 14:05 UTC 版)
「第52戦闘航空団」の記事における「コーカサスとスターリングラードの攻勢」の解説
1942年7月中旬、飛行隊は新たに Bf109G で再装備し、引き続き装甲部隊のコーカサス奥深くへの攻勢を支援した。この頃、第I飛行隊は火消し部隊として緊急かつ迅速に支援を必要とする地域へと送られ、黒海のケルチ半島からモスクワ正面にかけての範囲を行き来し続けた。1942年9月にはこの飛行隊は700機撃墜に達した。 スターリングラード攻防戦の終盤において JG52 は直接は関与しなかったが、第III飛行隊は1942年8月から9月にかけてのコーカサス南部油田への前進に参加し、第II飛行隊は1942年末頃の第4装甲軍の失敗に終わった包囲突破を支援した。この間の1942年12月10日に JG 52 の撃墜数は4,000に達した。 1943年の上半期はケルチ海峡とクリミア半島を中心に行動し、5月中旬には JG52 の第II飛行隊と第III飛行隊に第17軍の退路を守る重要な任務が与えられた。4月20日にはギュンター・ラルが戦闘航空団にとって5,000機目となる戦果をあげた。
※この「コーカサスとスターリングラードの攻勢」の解説は、「第52戦闘航空団」の解説の一部です。
「コーカサスとスターリングラードの攻勢」を含む「第52戦闘航空団」の記事については、「第52戦闘航空団」の概要を参照ください。
- コーカサスとスターリングラードの攻勢のページへのリンク