グレコ仏教彫刻とアジア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:41 UTC 版)
詳細は「仏教美術#北部仏教美術」を参照 グレコ仏教美術は、ギリシア古典期の文化と仏教間の文化的融合となるグレコ仏教の芸術的発現であり、これは中央アジアでアレクサンドロス大王による征服(前4世紀)からイスラームによる征服(7世紀)までの約1000年にわたって発展した。グレコ仏教美術は、ヘレニズム美術の強い理想主義的リアリズムと人間の形をしている仏陀の初めての表現が特色で、これは現在に至るまでのアジア大陸全域における仏教芸術のための美術的(特に彫刻での)規範を定義するのに役立っている。年代は不確定だが、地中海周辺で衰退してから数世紀をかけて、遅くとも5世紀には強いヘレニズム様式が東洋に敷衍したと見られている。ギリシア美術の一部特徴が取り入れられたが、それ以外はグレコ仏教地域を越えて普及しなかった。特に立像はリラックスしたポーズや片足屈曲(神の使いが飛来する表現)が多く、後者は天女としてアジア全域に普及した。ギリシャの葉状装飾も影響を及ぼし、コリント式のインド版が登場した。 グレコ仏教美術の起源は、現在のアフガニスタンにあたるグレコ・バクトリア王国(紀元前250-前130)のヘレニズムに見られ、そこからのヘレニズム文化がインド亜大陸に流入して小さなインド・グリーク朝(紀元前180-前10)が興った。インド・グリーク朝やその後のクシャーナ朝(1-3世紀)のもと、ギリシア文化と仏教文化の相互作用はガンダーラ地域(現在のパキスタン北部)で開花し(ガンダーラ美術)、さらにインドへと広まってマトゥラーの芸術やその後グプタ朝のヒンドゥー芸術に影響を及ぼし、これが東南アジアの向こうにまで拡大していった。グレコ仏教美術の影響は中央アジアに向かって北に広がり、タリム盆地や敦煌洞窟の芸術に強く影響を及ぼし、最終的には中国、韓国、日本の人物彫刻にも影響を与えた。 ガンダーラのフリーズ (建築)で、コリント式柱の間にプランテンの葉を持つ者達がいる。1-2世紀のブナー地区(パキスタン)。ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵 風神ボレアースの断片。ハッダ (アフガニスタン)遺跡出土 紀元前200-180年頃に君臨し、インド北部に侵攻したデメトリオス1世 (バクトリア王)の貨幣 以前は彩色されていた仏陀頭部のスタッコ、3-4世紀。ハッダ遺跡 (アフガニスタン)出土 ガンダーラのポセイドン。古代オリエント博物館所蔵 仏教の神々である般闍迦(左)と鬼子母神(右)の像、3世紀。ガンダーラ バーミヤンの摩崖仏、547年頃。左が1963年、右が2008年の状況。タリバンによって2001年3月に爆破された
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