クルガン文化の拡大段階とは? わかりやすく解説

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クルガン文化の拡大段階

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 14:15 UTC 版)

クルガン仮説」の記事における「クルガン文化の拡大段階」の解説

ギンブタスは、クルガン文化4つ連続する時期区分するクルガンI期は、ドニエプル川流域からヴォルガ川流域にかけての地方紀元前4千年紀前半起こったサマラ文化スレドニ・ストグ文化クヴァリンスク文化、セログラソフカ文化 (Seroglasovka culture) を含んでいる。特に、スレドニ・ストグ文化クルガンを築かないものの、人類による馬の家畜化起源ではないか考えられている。 クルガンII期からIII期は、紀元前4千年紀後半にあたる。それぞれスレドニ・ストグ文化マイコープ文化含まれるマイコープ文化さかんにクルガンを築くことで知られるクルガンIV期ないしヤムナ文化、は紀元前3千年紀前半に当たる。この文化は、ウラル川からルーマニアまで至るステップ全体拡大した。 そして、三つ拡大の波があったと考えている。 第一の波は、クルガンI期先行しヴォルガ川下流域からドニエプル川流域にひろがった。クルガンI期文化、特にスレドニ・ストグ文化ククテニ文化 (Cucuteni) と共存している。民族移動繰り返されることによって、クルガンI期文化の影響バルカン半島にまで及ぼされドナウ川流域沿ってハンガリーにヴィンツァ文化 (Vinca) やレンジェル文化 (Lengyel) が生まれることとなった。東のかなたのヴォルガ川中流域にあるクヴァリンスク文化スレドニ・ストグ文化似通っており、遠くバルカン半島生産され装飾品発見され馬の骨もよく発見されることから、交通手段として馬が使用され可能性示唆している。 第二の波は、紀元前4千年紀中葉であり、スレドニ・ストグ文化その後時代マイコープ文化由来する推測されるスレドニ・ストグ文化移動手段としての馬、マイコープ文化クルガン、を伴う高度な文化紀元前3000年ごろまでにヨーロッパ持ち込みその結果その地域では球状アンフォラ文化発生発展した考えられる球状アンフォラ文化ポーランド中南部中心として中央ヨーロッパ広まったギンブタスによるとクルガンを伴う高度文化ヨーロッパ流入するのは、インド・ヨーロッパ系言語中央ヨーロッパ入ってくる時期対応している。この球状アンフォラ文化中心地であるポーランド中南部からは、まもなく縄目文土器文化発生することになる。 第三の波は、紀元前3000年から同2800年頃ごろであり、ヤムナ文化竪穴文化)がステップ超えて拡大していく時期に当たる。竪穴墓がヨーロッパ一部広まりルーマニアブルガリアハンガリー東部現れる紀元前2900年ごろ、球状アンフォラ文化中心部であるポーランド中南部縄目文土器文化発生しその後、西は西ヨーロッパ西部東は東ヨーロッパ東端部、北はスカンジナヴィア半島南部フィンランド南端部まで大きく拡散した。これはゲルマン語派スラヴ語派バルト語派など、ヨーロッパの北半で発展したインド・ヨーロッパ語族諸語派の基層文化となった考えられる。(この時期には既に互いに方言化がある程度進んでいた可能性はある。)文法的特徴から、もとはゲルマン祖語同一ケントゥム語方言であった推定されるバルト祖語スラヴ祖語が、なぜサテム語へと訛っていったのかという謎は、おもに縄目文土器文化属していたこれらの話し手たちの南隣や東隣のステップ地帯存在していた、ヤムナ文化などといったサテム語であるイラン語派系統一連のステップ文化との社会的接触考慮することで解決する可能性がある。 紀元前2800年ごろには、球状アンフォラ文化範囲から西に遠く離れたポルトガル西端部鐘状ビーカー(ベル・ビーカー)が作られはじめ、この鐘状ビーカー文化(ベル・ビーカー文化、ないしビーカー文化呼ばれる)は西ヨーロッパ南ヨーロッパ西部一帯に広まるとともに縄目文土器文化球状アンフォラ文化広まっていた中央ヨーロッパ西部南部にまで侵入した。これはケルト語派イタリック語派など、ヨーロッパの南半で発展したインド・ヨーロッパ語族諸語派の基層文化となった考えられる。(これもヨーロッパ北半の諸言語同じく、この時期には既に互いに方言化がある程度進んでいた可能性はある。)たとえば、ケルト語派ゲルマン語派部分的な類似性主張されることがしばしばあるが、その原因はおもに、中央ヨーロッパ縄目文土器文化球状アンフォラ文化辺縁部へ、南ヨーロッパ西端から東進した鐘形ビーカー文化侵入していったとこと、そして後の時代には中央ヨーロッパから西進南進する骨壺墓地文化西ヨーロッパ南部南ヨーロッパ西部へ侵入していったこと、という2波の大きな地域的現象求めることができると考えられる。鐘形ビーカー文化担い手言語はもともと非インド・ヨーロッパ語族で、その話し手たちは血統共同体文化さらには言語訛りの意味ではこれらの地域社会基層となったものの、言語基本構成政治的文化の意味ではインド・ヨーロッパ語族影響急速に優勢になっていき、ケルト語派社会形成されていった考えられるゲルマン語派南ヨーロッパ一帯イタリック語派との類似性についても、その理由考えられるものについて、似たような文化的変遷過程挙げられる。たとえばイタリア半島中部から北部におけるテッラマーレ文化en:Terramare culture)と、後の時代ヴィラノヴァ文化en:Villanovan culture)の存在イタリア考古学者ルイージ・ピゴリーニ(en:Luigi Pigorini)は、銅器時代から初期青銅器時代までに北方からインド・ヨーロッパ語族言語と文化2つの波としてイタリアもたらされたとし、こういった言語と文化担い手である北方からの移住者たちを「イタリーチ」(Italici)と総称している。

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