政治的文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 22:22 UTC 版)
大統領選挙の結果年共和党民主党2016年 49.15% 1,240,656 45.35% 1,144,709 2012年 53.65% 1,233,654 44.59% 1,025,232 2008年 53.60% 1,230,111 45.12% 1,034,707 2004年 54.87% 1,104,294 44.40% 893,524 2000年 50.95% 781,652 44.67% 685,341 1996年 44.29% 622,073 46.52% 653,288 1992年 38.47% 572,086 36.52% 543,050 1988年 59.95% 702,541 38.74% 454,029 1984年 66.42% 681,416 32.54% 333,854 1980年 60.61% 529,688 28.24% 246,843 1976年 56.37% 418,642 39.80% 295,602 1972年 61.64% 402,812 30.38% 198,540 1968年 54.78% 266,721 35.02% 170,514 1964年 50.45% 242,535 49.45% 237,753 1960年 55.52% 221,241 44.36% 176,781 アリゾナ州は州昇格時点から1940年代後半まで民主党が支配していた。この期間に行われた大統領選挙では通常民主党候補者がアリゾナ州を制していたが、1920年、1924年および1928年アメリカ合衆国大統領選挙が例外であり、これらの時は全国的に共和党が圧勝していた。 1952年大統領選挙でドワイト・D・アイゼンハワーを選んで以来、アリゾナ州は一貫して共和党候補者を選んでいるが、1996年の選挙でビル・クリントンが制した時だけが例外だった。近年、共和党はアリゾナ州の政治でも優勢である。急速に成長してきたフェニックスやツーソンの郊外部は1950年代以降共和党色を強めてきた。この期間、田園部の「ピント民主党」や保守派民主党員の多くが、州レベルや国政レベルで共和党を支持するようになってきた。アリゾナ州では国政レベルで共和党を支持する一方、州全体の選挙では民主党が善戦している。2006年の選挙では民主党のジャネット・ナポリターノが州知事選挙で容易に再選された。 2008年3月4日、ジョン・マケインが2008年大統領選挙の共和党候補者指名を得て、1964年のバリー・ゴールドウォーター以来となる大統領候補者となった。 アリゾナ州の政治では長い間、フェニックスがあるマリコパ郡とツーソンがあるピマ郡という2つの大きな郡の競合が続いている。この2郡に州人口のほぼ75%が住んでおり、有権者人口では80%になる。また州議会の定数でも実質的に過半数となっている。 マリコパ郡には州人口のほぼ60%が住んでおり、州の選挙で選ばれる役人のほとんどがここに住んでいる。1948年以来の大統領選挙では一貫して共和党候補者を選んできた。この中には1964年のマリコパ郡出身者バリー・ゴールドウォータが含まれている。ゴールドウォータはマリコパ郡で2万票の差を付けられなければ、アリゾナ州を制することもできなかった。同様に2008年のマケインはアリゾナ州で8%の差を付けたが、マリコパ郡での13万票差がなければ接戦になった可能性があった。 対照的にツーソンのあるピマ郡と州南部の大半は歴史的に民主党寄りである。ツーソンの郊外部は共和党寄りだが、フェニックス地域よりも幾らか穏健な共和党支持である。 2006年中間選挙でアリゾナ州はゲイ同士の結婚に反対する修正条項を否決した。これは全国の州で初めてのことだった。既にゲイ同士の結婚は合法だったが、この修正条項が成立すれば、未婚の同性愛あるいは異性愛のカップルに対して法的あるいは財政的恩恵を否定するものだった。2008年、アリゾナ州は州憲法修正条項102号を成立させ、結婚を1人の男と1人の女の結合と定義した。 2010年、アリゾナ州は国内でも最も強硬な不法移民法を成立させ、この法の支持者と中傷者との間の議論に火を付けた。
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