クセノポンとプラトンが描く「ソクラテス像」の共通点と差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 06:13 UTC 版)
「ソクラテス」の記事における「クセノポンとプラトンが描く「ソクラテス像」の共通点と差異」の解説
クセノポンとプラトンが描いているソクラテスの人物像は、 金持ちではなく、質素で自制的な生活をしていた。 身体的および知的な鍛錬に勤めていた。 敬神家であり、ダイモニオンの諭しに従っていた。 「善き市民・国家運営者」を養成していくための各種様々な教育に熱心だった。(自分で教えられるものは自分で教え、自分で教えられないものはその道の専門家を紹介した。) 問答法のような明瞭かつ徹底した議論・検討・教授方法を好んだ。 特に「道徳・人倫に関わる抽象概念」の明確化を試みる議論を好んだ。(しかし、それは行き詰まることも多かった (アポリア)。) (報酬をもらって、富裕市民の子息などに教養・処世術・弁論術・論争術などを教授するソフィストとは異なり)無報酬で、誰とでも問答した。 彼を慕う国内外の仲間・友人(弟子)に囲まれ、彼らを益した。 など、概ね共通している。 しかし、決定的に異なるのが、クセノポンが『ソクラテスの思い出』(メモラビリア)の第4巻第7章において、ソクラテスが、 幾何学の内、測量に使える部分以外の高度な内容。 天文学の内、陸路・海路の旅、警備、時刻・時期を知ることに役立つ部分以外の高度な内容(星々の距離、軌道、原因など)。 といった有用性・実用性に欠けるものを学ぶことに賛成しなかった(他の哲学者たちのように、そうした「神々の領域」に踏み込むことは、不毛かつ良くない危険なことであり、その時間・労力を「人間の領分」における他の有用な学習・探求に当てるべきと考えた)と述べている点である。(同様な内容の記述は、同書の第1巻第1章などにも見られる。) プラトンが対話篇で描くソクラテスは、クセノポンが描く場合と同じく敬神的ではあるものの、イデア論の萌芽が見える初期の『クラテュロス』の頃から徐々にプラトン自身の思想の代弁者となり、中期以降に至ってはピュタゴラス派やエレア派の徒と交わりながら、イデア論を展開したり、魂の肉体からの浄化(カタルシス)を主張したり、弁証術と並んで幾何学の教育の重要性を説いたり、宇宙や冥府の構造について盛んに言及したがるなど、イタリア半島的・アカデメイア的な哲学者然とした佇まいが顕著になるが、クセノポンが描く実際のソクラテス像は、もっと人間社会・国家にとっての有用性・実用性を重視し、実学を好んだ人物像となっている。(さらに、同書『思い出』の第3巻第8章・第4巻第6章などでは、ソクラテスにとっての(個別具体的な事物の中に存する)「美・善」とは、あくまでも人間にとっての個別具体的な様々な需要の充足性と不可分に結びついた、具体的かつ相対的なものであったこと、すなわちプラトンのイデア論とはむしろ対極的なものであったことが、述べられている。) また、クセノポンはヘルモゲネスから聞いた話として、裁判前のソクラテスは、老齢によって身体・思考・記憶が衰え、これまでのような「善き生き方」を全うできなくなることへの懸念を持っていて、裁判を自分の人生の幕引きにはいい機会と捉えていたことを、『ソクラテスの思い出』や『ソクラテスの弁明』で暴露しており、そうした面には触れずに「愚かな大衆に追いやられた悲劇的な死」を印象付けるプラトンの描き方とは一線を画している。(また、実際にソクラテスが「老齢に引っ張られて思考・記憶が衰える」と考えていたとすると、「身体から独立した不滅の魂」を主張するプラトンの思想、中でも特に、『パイドン』等で述べられているように、全人生をかけて人間(哲学者)として最高度に魂を鍛えてイデアの想起(アナムネーシス)と身体からの浄化(カタルシス)を行ってきたはずの、プラトンが描くソクラテス像にとっては、矛盾した都合の悪い事実となる。)
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