キャンプ地誘致合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:00 UTC 版)
「2002 FIFAワールドカップ」の記事における「キャンプ地誘致合戦」の解説
本大会を印象づけるもう一つの争いとして、各自治体によるキャンプ地誘致合戦が挙げられる。キャンプ地に名乗りを上げた自治体は、予選の段階での確約を含め70以上に上った。結局、グループステージの日本開催分であるE、F、G、Hの4組に出場する全16ヶ国が日本でキャンプをし、さらにグループリーグの韓国開催分であるA、B、C、Dの4組16ヶ国のうちA組の全4チーム、B組の3チーム、C組の1チームの計8チームが開幕前に日本でキャンプをした。 誘致の成否には戦略の違いが見られ、川崎市がどこの国と決めず誘致活動のみに腐心したため誘致に失敗した一方、伊達政宗の命でローマに派遣された慶長遣欧使節が1615年(元和元年)にローマ教皇に謁見したことから1997年(平成9年)に姉妹県締結をした宮城県とローマ県の交流をもとに、2000年(平成12年)に仙台フィルハーモニー管弦楽団のローマ公演を成功させた仙台市が、イタリア代表に対象を絞って誘致を成功させた。また、徳島県鳴門市は第一次世界大戦時のドイツ兵捕虜への人道的な扱いや地元住民との交流が縁で「バルトの楽園」として映画化もされている程に古くからドイツと親交がありながらも、グラウンドの整備の悪さのためにほぼ誘致が確定していたドイツ代表をみすみす逃がす事態も発生した。岐阜県古川町(現:飛騨市)のように、特定の国(ルーマニア)と出場確定前から確約を結んだために誘致が実現できなかった自治体も多い。 キャンプ期間中は、強豪国を中心に非公開の練習にする代表チームが比較的に多かった中で、デンマーク、エクアドル、セネガル、サウジアラビア、チュニジア、アイルランドの各代表などは交流に積極的であり、非常に好印象を与え、特にデンマーク代表の公開練習に至っては、地元のみならず全国からも多くのサッカーファンが詰めかけたといわれる。その他の国も、小学校や少年サッカースクール、各種福祉施設など小規模な交流は積極的に行われ、国同士の交換留学生なども送られた。 注目を集めたキャンプ地として、スター選手や美男子選手目当ての女性ファンが多く詰め掛けた仙台市(イタリア代表)や兵庫県津名町(イングランド代表)があった一方、大分県中津江村(カメルーン代表)は山奥の小さな村のキャンプ地として早くから注目され、代表の到着遅延によってさらに全国にその名が知れ渡ることとなった。中津江村は2005年3月22日に日田市への編入合併により自治体としては消滅したが、旧中津江村域の地名は「中津江村」を冠したまま存続された。 現在でも、キャンプ地となった自治体とキャンプを行った国との間で親交が深い所が多い。例えば、千葉県千葉市ではアイルランド代表がキャンプを行ったのを機に、有志による「アイルランドサポートクラブ千葉」というアイルランド代表を応援する会を発足。大会終了後もアイルランド代表の応援活動や、「日本代表対アイルランド代表戦の実現」に向けての署名活動を現在でも続けている。また、クロアチア代表のキャンプ地の新潟県十日町市では、2006 FIFAワールドカップが開催された時に日本との対戦が決まったために「どちらを応援するか?」でジレンマが起きたり、「日本を応援しないとはどういうことか」という批判が寄せられるなどした。その他、イタリア代表のキャンプ地となったことを記念して仙台市では仙台カップ国際ユースサッカー大会が始まり、第2種世代のサッカー日本代表にとって重要な大会に育っている。 また、十日町市の誘致におけるエピソードもよく知られ、当初はイタリア代表を誘致しようと運動するも失敗、その後ポーランド、スペイン代表と確約するも、開催地の関係で立ち消えとなる。しかし、ポーランド及びスペイン代表が、まだ候補地を決定していなかったクロアチア代表を推薦し、キャンプ地として決定した。その後、多くの自治体が、誘致国との関係が稀薄となっていく中で、十日町市は以後ずっとクロアチアとの交流を続けており、2020年の東京オリンピックにおけるホストタウン誘致も成功させている。
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