ウッドロウ・ウィルソン
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「アメリカ合衆国の歴史 (1865-1918)」の記事における「ウッドロウ・ウィルソン」の解説
詳細は「ウッドロウ・ウィルソン」を参照 その2年後、1912年アメリカ合衆国大統領選挙では、ニュージャージー州の革新的知事だった民主党のウッドロウ・ウィルソンが、共和党候補者のタフトに対抗して立った。またセオドア・ルーズベルトはタフトの政策に不満が募っていたので、3期目に出馬しないという約束を破って出馬した。ルーズベルトは共和党に指名されなかったので、第3の政党である進歩党候補者となったが、その党は一般にブル・ムース党と呼ばれた。この選挙はルーズベルトとウィルソンの争いとなり、現職のタフトはわずか選挙人票8票を確保するだけという惨敗だった。 ウィルソンは活発な選挙運動で2人のライバルを倒した。ウィルソンの指導で新しい議会はアメリカ史の中でも最も著名となる法律を成立させた。その最初の仕事は関税だった。ウィルソンは「関税を変えなければならない。うわべの特典と見られるものは何でも廃止しなければならない。」と言った。1913年のアンダーウッド関税は原材料、食料、綿と毛織製品、鉄と鋼に関する関税を著しく下げ、その他100以上の品目から関税を撤廃した。この法はまだ多くの保護的性格が残っていたもののアメリカ労働者の生活費を真に下げる試みだった。 民主党の計画の2点目は銀行と通貨制度の再編成だった。ウィルソンは「管制は公的なものであって私的であってはならず、政府自体に権限が与えられなければならないので、銀行は事業や個人の事業と主導権の道具であり主人ではない。」と言った。 1913年の連邦準備金法はウィルソンの成果としては最も長続きした法となった。これは既存の銀行に全国を12の地区にわける新しい組織を課した。それぞれの地区には連邦準備銀行を置き、すべて連邦準備制度理事会の監督下に置いた。連邦準備銀行は制度に参加した銀行の現金を保管しておく場所として機能した。この制度ができるまで、合衆国政府は金の供給管理の大部分を規制のない民間銀行に任せていた。公式の兌換貨幣は金貨だったが、大半の借金や支払は金への兌換という約束に裏付けられた紙幣で行われた。この制度における問題点は、銀行がその現金保有高を超えて商いをする傾向にあることであり、紙幣を金貨に換えようと預金者が殺到する恐慌が周期的に繰り返されてきていた。この法の成立で、金供給に大きな柔軟性が保証され、事業の需要に見合う連邦保証紙幣を発行する規定が作られた。連邦準備制度の創設は今日でも議論の多いものである。 次に重要な成果として、トラストの規制と企業による虐待の調査があった。連邦議会は州際取引に関して企業による「不公正な競争手段」に対して連邦取引委員会が禁止命令を発効する権限を与えた。 2つめの法はクレイトン反トラスト法であり、特定の非難を逃れてきた多くの商習慣を禁じた。例えば、兼任重役制、購買者によって異なる差別価格制、労働争議における差し止め命令の使用、および類似した事業を株式会社が所有することだった。 1916年9月7日の連邦被雇用者労働災害補償法 (39 Stat. 742; 5 U.S.C. 751) は、労働中に起こった障害について連邦公務員に手当金を認めた。同年のアダムソン法は鉄道労働者について1日8時間労働制を確立した。これらの成果を挙げたことでウィルソンはアメリカの抜きんでた政治改革者の一人としてアメリカ史に確固とした足場を固めた。一方、ウィルソンは熱心な白人至上主義者であり、連邦政府にアフリカ系アメリカ人を雇用する門戸が開かれようとしていたのを揺り戻した。D・W・グリフィスの悪名高い映画『國民の創生]』をウィルソンが楽しんでいたという話は真実味が無く、第一次世界大戦の間はそれを禁じていた。しかし、その内政による評価は、自国を勝利に導きながらその後の平時に大衆の支持を繋ぎ止められなかった戦時の大統領として、その経歴に影が差すことになった。
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