イフォガス山地の掃討戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 07:25 UTC 版)
「マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「イフォガス山地の掃討戦」の解説
キダルの北部、イフォガス山地にAQIMとアンサール・アッ=ディーンは避難する。これに乗じてMNLAは北部にある幾つかの集落を支配下に置く。1月28日、アザワド独立派はテッサリト、テッシ(fr:Tessit)、インカリール、ティンザワテン、レレー、アネフィフ、タラテイエ(fr:Talataye)そしてキダルを戦闘無しで統制下に置いたと主張する。彼らはフランス軍とチャド軍とは協力できるが、マリ軍に対しては到着にも反対するとした。 イフォガス山地はイスラム過激派の聖域と化しており、ここで最後の抵抗が試みられる。山地はアゲルホクの東、キダルとテッサリト間の三角形を描く地域にあり、ティガルガル山塊(Tigharghâr)、アメテタイ谷(Ametettai)など大きな地形がある。ここは1990年から1995年のトゥアレグ反乱でも聖域として使用されていた。その後、マリにおけるAQIMの拠点と化している。 アンサール・アッ=ディーンは大幅に減少した。1月に戦闘員の一部、アルガバス・アグ・インタラ司令官(Alghabasse Ag Intalla)に率いられる一派は組織を出てアザワド・イスラム運動(MIA、fr:Mouvement islamique de l'Azawad)を設立しており、彼らは過激なジハード主義を撤回しマリやフランス政府との平和交渉をしたいと考えている。他の戦闘員数百人はダルフールに逃亡したことが報告される。最後に、3つ目のグループはイフォガス山地に残留しAQIMと共に戦闘を継続する。 2月18日、マリ=フランス=チャド連合軍はMNLAとMIAの一部部隊の支援を得てイフォガス山地の掃討作戦であるパンテル4号作戦を発動、攻勢を開始する。フランス軍1,200人、チャド軍800人が作戦に参加し初動は西南方向から、第二撃は北方向から攻撃を開始する。1月19日から20日にかけて、フランス軍によって火蓋が切られイスラム戦闘員30人以上殺害し、2月22日から23日の戦闘は激戦であった。2月22日、200人から成るチャド軍縦隊はいくらかの自爆攻撃を含めるイスラム戦闘員に襲撃される。チャド軍は当初苦戦するも襲撃者の急所を狙い反撃に出る。戦いは続き、洞窟にて繰り広げられる。この日の終わりに25人のチャド兵重軽傷者が出て、イスラム戦闘員93人が殺害される。この戦闘は苛烈でチャド軍特殊部隊指揮官アブデル・アジズ・ハッサン・アダム(Abdel Aziz Hassane Adam)も戦死している。翌日、域内のセンサ(Sensa)にてフランス軍機の空爆により反政府勢力の車列が破壊される。これによりイスラム過激派はアブー・ゼイド司令官を含む戦闘員43人が死亡している。生存者7人はフランス軍特殊部隊とMNLA戦闘員によって拘束される。 フランスとチャドは罠や武器弾薬を捜索するため包囲環を徐々に縮めていった。北方からは外人部隊を含む空挺部隊500人が前進し、5日から6日かけて徒歩で迂回機動した後、イスラム戦闘員を奇襲する。3月2日、空挺部隊は戦闘に突入するも2日かかり、空挺隊員1人が戦死、イスラム戦闘員30人を殺害し5人が逃走する。しかし攻撃は決定的な成果を収めずイスラム戦闘員は遅滞行動を取りつつ逃走を図る。フランス=チャド連合軍は完全な包囲網を形成するには不十分な戦力であった。3月4日、アメテタイ谷とティガルガル山塊はほぼ完全に制圧される。 しかし、小グループによる戦闘は翌日以降も続く。戦闘機に支援されるAMX-10 RC偵察戦闘車から成る機甲部隊は東北部への偵察任務で出撃、勝利を収めボガッサとティンザワテンを制圧下に収める。3月12日、外人部隊空挺部隊によってイスラム戦闘員4人を殺害し、他に生存者を拘束する。同日、チャド軍もイスラム戦闘員と交戦しこれを撃破する。3月16日には AMX-10 RC偵察戦闘車が地雷に触雷し、フランス軍は重傷者3人を出しこの内1人が怪我が元で死亡している。 イフォガス山地での最終決戦が繰り広げられAQIMの重要拠点を破壊し兵器類は押収、掃討戦は終了する。フランス軍の損害は戦死3人、負傷120人を出している。チャド軍は戦死27人と多数の負傷者を出している。イスラム過激派は約500人のうち約200人が殺害されたと推定される。 イフォガスでの戦闘によりMUJAOは北上し、2月22日にテッサリト近くのインカリールにてMUJAOによる別々の自爆攻撃を受け、MNLA戦闘員は3人を殺害し、4人を負傷させる。翌日、インカリールの町はイスラム戦闘員の襲撃を受ける。この日アザワド・アラブ運動(MAA)はかつての同盟相手であったMNLAを攻撃した。MAAはアラブ人に対し残虐行為を行ったMNLAを批難している。しかし、この攻撃はフランス軍機の支援によって阻止される。 2月26日、キダルではMNLAの検問所で自動車による自爆攻撃により戦闘員7人が死亡し、11人が負傷する。 マリ=フランス連合軍はティガルガル山塊とアメテタイ谷の制圧後、イフォガス山地の奥深くまで危険地帯の排除に成功する。山地にあるボガッサ、ティンザワテンおよびアベイバラで無抵抗で制圧される。その後、フランス=チャド連合軍は山地から撤退する。フランス軍はキダルに撤収しつつガオ州内に再展開される。しかしキダルでは4月12日に再度、自爆攻撃を受けチャド兵4人が戦死している。
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