イスラム教への改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 00:49 UTC 版)
シャブタイ派が公式に告示していた声明は、ひとえに魂の悔い改めであった。しかし民衆の間では、救世主の王国の到来、すなわちツヴィがオスマン帝国のスルタンを追放し、彼に代わって王位に就くという噂がまことしやかにささやかれていた。それ以外にも、イスラエルの失われた10支族が現れるという話や、メッカとペルシアが救世主との戦いで陥落するという話がまじめに議論されていた。イエメンでは賢者と称えられていたラビ・シャロム・シャバジ(1619年〜1720年)とツヴィとの関係が取り沙汰されていた。各国の新聞はシャブタイ派の話題に多くの紙面を割いて読者の不安を煽っていた。民衆の多くは、やがてシオンに救済が訪れ悪の王国が地上から掃討されると信じていた。なかにはパレスティナへの帰還に備えて不動産や家財を売却する者も大勢いた。シャブタイ派の信奉者は、彼らの信条に従って戒律違反を繰り返しながら、聖地に向かうにあたってなすべき行いについての命令がナタンの口から下されるの固唾を呑んで待っていた。シャブタイ派に同調したのはユダヤ人だけではなく、一部のキリスト教徒も終末の到来を信じてシャブタイ派に足並みをそろえた。悔い改めの証として行われた断食は瞬く間に各地で実践されるようになり、ユダヤ教徒も異教徒に負けじと断食を行った。 1666年(ユダヤ暦5426年)のこと、自らが救世主であることをオスマン帝国のスルタンに理解させるため、ツヴィはイズミールからコンスタンティノープルに向けて出発した。しかし、コンスタンティノープルに着いたとたんに身柄を拘束され、ガリポリの要塞にある監獄に監禁された。信奉者はこの出来事を、イスレー・マシァハ(救世主の受難)と解釈して意に介さず、その後は頻繁にツヴィとの面会に訪れていた。それからツヴィのイスラム教への改宗にいたるまで、彼の牢獄は信奉者の溜まり場となり、いつしか「ミグダル・オズ」(巨塔)と呼ばれるようになっていた。 虜の身でありながらもガリポリでのツヴィは、カリスマ的指導者としての立場を堅持していた。しかし、彼に不審の目を向けたポーランドのカバリスト、ネヘミヤ・コーヘンの告発により、1666年9月16日(ユダヤ暦5426年のアルールの月の16日)、大勢のユダヤ人を巻き込んだ茶番劇に終止符が打たれることになる。エディルネにてスルタンの御前で裁かれたツヴィには、死刑かイスラム教への改宗かという選択権が与えられたのだが、彼は後者を選択した。ツヴィの改宗という予想外の出来事が信奉者に与えた衝撃は計り知れないもので、彼らの多くはツヴィに寄せていた壮大な期待を断念し、なかにはユダヤ教自体に見切りをつける者もいた。その一方、なおもツヴィに忠誠を誓う熱心な信奉者の数は多く、その一部は彼の後を追ってイスラム教に改宗することもいとわなかった。もちろんナタンもツヴィに対する信仰を保持し続け、ツヴィの改宗以降もシャブタイ派思想の普及に全霊を注いだ。ナタンは動揺する信奉者に対して、救世主の転落はケリフォト(セフィロトの対概念でいわゆる「悪の領域」)への潜行であり、ハアラアト・ハ=ニツォツォット(世界創造のさいにケリフォトに取り残されたエン・ソフを天上に戻すこと)のために須らく要求されたプロセスであると説いて回った。アブラハム・ミグエル・カルドソ(1630年〜1706年)といったシャブタイ派の別の指導者も、それぞれの見解を用いて信奉者の説得に当たっていた。 シャブタイ派の一部はツヴィに追随してイスラム教へ改宗したのだが、彼らの改宗はまやかしに過ぎなかった。他ならぬツヴィ自身も相変わらずで、エディルネを拠点にすえた後は、名目上はイスラム教シャブタイ派の指導者となったものの、イスラム教ともユダヤ教ともつかない独自の生活スタイルを崩さず、公共の場でもシャブタイ派独自の儀式を繰り返していた。1672年、ツヴィは滞在先のコンスタンティノープルでイスラムに対する背信の罪で逮捕された。その後、アルバニアのウルチニへ抑留され、死ぬまで同地を出ることがなかった。 ツヴィは1676年(ユダヤ暦5437年)の大贖罪日に死んでいる。50歳であった。彼の死は終末の救済というエピローグに向けての重要なチャプターであるとされた。ナタンは自らのカバラの理論を駆使してすべての現象の説明を試みた。すなわち、ツヴィは死んだのではなく、至高の光に飲み込まれてしまったのであり、それは神の一部として生まれ変わったに他ならないと信奉者、および自らに言い聞かせたのである。そのナタンも、1680年1月12日(ユダヤ暦5440年シュバットの月の11日)にマケドニアのスコピエで死んだ。
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