南アフリカとケープ・ジャズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 23:33 UTC 版)
「アブドゥーラ・イブラヒム」の記事における「南アフリカとケープ・ジャズ」の解説
彼はイスラム教に改宗した後、1970年代中盤に南アフリカに少しの間戻る。イスラム教への改宗をきっかけにダラー・ブランドからアブドゥーラ・イブラヒムへと名前を変えた。不安定な政治情勢を見た彼は、1976年にはすぐにニューヨークへと戻ったのだが、しかしその間に著名なケープタウンのミュージシャン(バジルコージー、ロビー・ジャンセンを含む)といくつかのすぐれた録音を残した。これらの独創的な録音はケープジャズという新しいサウンドの大きな力となった。「Mannenberg」(アメリカでのリリース時は「Capetown Fringe」)や、南アフリカで有名な作曲である「Black lightning」、「African Herbs」、「Soweto Is Where It Is At」はこの時期の曲である。これらはストリートや黒人地区のサウンドを反映した曲で、「Mannenberg」は「非公式の南アフリカの国歌」、反アパルトヘイト運動の旋律と考えられるようにまでなった。 サクソフォーン奏者でフルート奏者のカルロス・ワードは1980年代初頭にサイドマンとしてイブラヒムとデュエットで演奏している。
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