アメリカによる鉱山経営
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「北大東島のリン鉱山」の記事における「アメリカによる鉱山経営」の解説
終戦直後、沖縄を統治した米軍は肥料原料であるリン鉱石を産出し、また家畜が多いことで知られた大東諸島を「沖縄の宝庫」として注目していた。琉球列島米国軍政府の管轄下にあった沖縄民政府は、1946年6月に大東諸島に調査団を派遣した。 調査団員として石橋好徳、農務部員の福島文夫らが任命され、米国軍政府の農業担当で軍政官であったキャリントン大尉が同行した。調査目的は当初、北大東島と沖大東島のリン鉱石の調査とされていたが、実際には南北大東島の政治、行政、経済の現状について全般的な調査が行われた。調査団は6月10日に南大東島に上陸し、11日付で南北両大東島の日糖興業の全資産を米国軍政府に接収した。 調査団員の福島は6月11日、日糖興業から資産の引継ぎを受けた。キャリントン大尉は6月12日に福島を臨時知事代理に任命し、当面の間大東島に駐在するように命じた。同日、福島は沖縄民政府の命により南北大東島に村政を施行した。これまで一企業によって支配されていた南北大東島であったが、米国軍政府が企業の全資産を接収したため、行政機関を設けることにしたのである。6月15日には南北大東島の村長が任命され、7月11日には沖縄民政府は行政業務を行う大東支庁を設立する。新設の支庁には燐鉱課が設けられていたが、実際の業務を担う人材がなかなか決まらなかった。9月11日になってようやく支庁職員が着任することになって、臨時知事代理であった福島は離任した。そして9月下旬には日糖興業の社員らの中で内地に本籍がある者たちは離島していった。 大東支庁燐鉱課は支庁本体を上回る職員23名、作業員181人の人員で構成されていた。鉱山の運営は大日本製糖時代からの鉱山責任者らが中心となっていたが、12月4日には米国軍政府から鉱山の責任者に任命されたガーン隊長(中尉)が、技術者、通訳を伴って戦車揚陸艦で北大東島に赴任した。ガーンは連合国軍最高司令官総司令部に対し、リン鉱石を月7500トン産出する約束をしており、ガーンの赴任とともに米国製のブルドーザー、スクレイパー、パワーショベル、トラック、ベルトコンベア、削岩機、ウインチなどの大型機械が揚陸された。 こうして北大東島のリン鉱石採掘は米国軍政府の直轄事業となり、ガーン隊長が大東支庁の燐鉱課長、支庁長の上に立つ鉱山の総責任者となった。大東諸島には奄美諸島や先島諸島のように米国軍政府の出先機関は設けられなかったものの、リン鉱山の総責任者である米国人の隊長は大東支庁の監督も行うような形となった。隊長と支庁長は大東諸島の政治行政の運営方針を巡って対立し、ガーン隊長は南北大東島とも村制のみで十分であるとして支庁の廃止を主張し、結局、南北大東島の村議会が発足した後の1948年3月31日に大東支庁は廃止された。 ところで米国製大型機械は北大東島のリン鉱山の実情にそぐわないものであった。前述のように従来、北大東島のリン鉱山は人力による露天掘りであり、その中で良鉱を選びながら採掘が進められていた。結局米国製大型機械の大部分は使用されず、戦前に採掘されて各所に集められていた低品位のリン鉱石をブルドーザーで掘り起こし、天日乾燥の後にスクレイバーで運搬する作業が中心となった。 米軍直轄によるリン鉱山事業の進展に伴って北大東島は好況となり、連日リン鉱石の積み込み作業に追われるようになった。南大東島などから移住する人や、また南大東島で活用されなくなったトロッコ等の設備の移設が行われた。1949年10月の新聞報道では年産2万トンの北大東島のリン鉱石は琉球最大の輸出品で、ドル獲得の立役者であると報道されている。北大東島のリン鉱石はこれまで北大東島での事業を独占して行ってきた経過もあって、日糖興業が輸入代行業を行って日本国内へと搬入された。 ガーン隊長の後任となったサンチェーズ技師はリン鉱石積み込み方法の改造を計画した。前述のようにリン鉱石貯蔵庫の下部にトロッコ軌道があり、貯鉱されているリン鉱石をトロッコへと流し込んで桟橋へと運ぶシステムになっていたものを、サンチェーズはベルトコンベア方式に変更することにして、改造工事に取り掛かった。 鉱山景気に沸く北大東島に移住する人々が増え、中でも稼働年齢層である青年人口が増加し、米軍直轄事業であるリン鉱山で使える英語講習会が行われたり、鉱山機械の機能や運転法を学習する若者たちが現れた。また戦後のリン鉱山は郵便、電信電話業務、そして離島である北大東島にとって極めて重要である港湾業務も担っていた。
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