移住する人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 19:20 UTC 版)
「ディアスポラ」も参照 一方、オスマン帝国に占領される以前よりギリシャの人々は西ヨーロッパへ移住し、ディアスポラを築いた。 ビザンツ帝国が支配する世界にムスリムらが進出することでギリシャ人らは徐々に西ヨーロッパへ移住し始めた。特に1453年にコンスタンティノープルが陥落することで促進されたが、それは学者、政治家、軍人などのエリート層のみに限られていた。しかし1460年にペロポネソス半島がオスマン帝国に併合されると一般の人々らも難民として移住を開始、さらにヴェネツィア領が占領されていくとその流れは加速し、彼らは主にイタリア、特にヴェネツィアに移住して行った。 その後、オスマン帝国支配下で経済活動が活発化していくと商業的活動を目的とした人々が移住を開始した。1699年、カルロヴィッツ条約が締結されるとギリシャ人らはそれまで主にイタリアに移住していたものがドナウ川以北のハプスブルク帝国領へ移住を開始した。そしてそれはさらに広がりドイツ、フランス、イタリアへと移住するものまで現れていった。 彼らはイタリア諸都市、トリエステ、ウィーン、ブダペスト、ライプツィヒ、パリ、マルセイユなどにコロニーを築き、さらには当時、南下政策をとっていたロシア最南端(黒海周辺)などにもコロニーを築いていった。 各地で構築されたギリシャ系ディアスポラのコロニーは当初こそ難民のためのものであったが、それは18世紀になると商業活動の活発化が進んだことで自発的居住者らが加わり、これらのコロニーが西欧社会とギリシャ人らとの接触の拠点となった。
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