移住と飛行機開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 08:16 UTC 版)
馮如は1884年1月12日、清の広東省肇慶府恩平県で生まれた。1896年、12歳で父と一緒にアメリカに移住し、カルフォルニア州各地を転々とした。1903年、19歳の時にライト兄弟の動力飛行に触れ、機械工学に興味を持った。1905年、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約に伴い、旅順と大連、南満州鉄道の権益を日本が得たことに刺激された馮如は、飛行機の戦力的価値に注目し、飛行機の製造を思い立った。馮如は1906年にサンフランシスコに移住したが、サンフランシスコ地震で市内が壊滅したため、オークランドのチャイナタウン中心部にあるイーストナインスストリート359に再移住し、飛行機製造を目指して工場を創業した。馮如は独学でライト兄弟やグレン・カーチス、アンリ・ファルマンの著作を翻訳しつつ、中国系アメリカ人向けにポンプや電話機・電信機などの製造販売を行った。工場は8×10ft(2.4×3m)の非常に小さい間取りだったが、工具や航空関係の書籍、雑誌が置かれ、ここで馮如は午前3時まで熱心に研究をつづけた。
※この「移住と飛行機開発」の解説は、「馮如」の解説の一部です。
「移住と飛行機開発」を含む「馮如」の記事については、「馮如」の概要を参照ください。
- 移住と飛行機開発のページへのリンク