三作神楽
名称: | 三作神楽 |
ふりがな: | みつくりかぐら |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 三作神楽保存会 |
指定年月日: | 2000.12.27(平成12.12.27) |
都道府県(列記): | 山口県 |
市区町村(列記): | 新南陽市大字夏切 |
代表都道府県: | 山口県 |
備考: | |
解説文: | この神楽は、新南陽市大字夏切の林【はやし】、中村【なかむら】、原赤【はらあか】の人びとによって伝承されており、この地区があわせてかつての村名とされる「三作」と通称されているため、三作神楽と呼ばれている。ここでは地区内の神社七社の祭礼を「七年祭【しちねんさい】」と称して、卯年と酉年に地区内の河内社【かわちしゃ】で行い、本神楽は、その折に地区内に仮設された「神殿【かんどん】」で舞われる。またこの七年祭とは別に、明治期から防府市野島の祭礼に招かれて、四年に一度ずつ神楽奉納が続いている。 三作神楽の起源については定かではないが、裏に明和元年(一七六四)の墨書のある神楽面が残されており、また河内社宮司家に寛政四年(一七九二)の「年祭御神楽目録」が伝わっていることから、少なくとも一八世紀からの伝承は確認されている。 一連の行事は、祭礼の数日前に神殿を建てる「神殿掛け」から始まる。その大きさは間口三間半、奥行五間半で、正面に大きな祭壇を設え、他の三方にも神棚を祀り、地面全体に莚を敷いて舞処【まいど】とする。この際、地区の氏子全戸が各戸ごとに莚一枚をもって参加することが習わしとなっている。 祭礼一日目は、まず早朝に神楽の舞子全員で神殿の神棚・天蓋【てんがい】・切り飾りなどの飾り付けを行う。その後当屋【とうや】に行き、「清めの舞」「恵美須【えびす】の舞」「柴鬼神【しばきじん】の舞」の三番を舞う。当屋は毎回変わり、新築など祝い事のあった家が希望して引き受けるという。その後、神殿に行列を組んで練り込む。神殿では、まず神職二名による湯立【ゆたて】が行われた後、神殿の清めとして当屋で舞った三番を再び舞う。 二日目は、早朝に神殿でお祓いをした後、神職と氏子が三方に分かれて七社の神を迎える「神迎【かみむか】え」を行う。やがて迎えられた七社の神が揃うと、皆で行列して神殿に入り、神歌を歌いながら三巡りして、それぞれの社から迎えた御幣を祀る「神殿入り」が行われる。その後、神楽二十三番を夜にかけて奉納する。 三日目は、早朝に神殿に祀られていた御幣をそれぞれの社に戻す「神戻【かみもど】し」の後、神殿を解体する「神殿破り」を行い行事が終了する。 現在三作神楽では、「清めの舞」(二人舞)、「荒神【こうじん】の舞」(二人舞)、「河内社の神楽」(二人舞)、「二つ太刀の舞」(二人舞)、「恵美寿の舞」(一人舞)、「大元社の神楽」(二人舞)、「二つ弓の舞」(二人舞)、「卓【しょく】の舞」(四人舞)、「小原河内社の神楽」(二人舞)、「柴鬼神の舞」(二人舞)、「小原大番社の神楽」(二人舞)、「四つ太刀の舞」(四人舞)、「小原大元社の神楽」(二人舞)、「殿様【とのさま】神楽」(一人舞)、「四つ弓の舞」(四人舞)、「大番矛【おおばんほこ】の舞」(四人舞)、「大番社の神楽」(二人舞)、「五龍王子【ごりゅうおうじ】の舞」(七人舞)、「氏社【うじしゃ】の神楽」(二人舞)、「三方荒神【さんぼうこうじん】の舞」(三人舞)、「神明【しんめい】の舞」(七人舞)、「長刀【なぎなた】の舞」(一人舞)、「花鎮【はなしず】めの舞」(二人舞)、の二十三番を伝えている。舞の囃子では、錨打ちの太鼓(一)、篠笛(三、四本)、合せ鉦(一)が使用されている。なお番外として、二日目の最後に、神楽関係者全員で神殿の中央に据えた太鼓をそれぞれの採物で叩きながら、「八百万神神戻【はっぴゃくまんじんかんもど】し」と唱えながら回る「神戻し」がある。これらの演目を見ると仮面を用いない採物舞が多く、東・西・南・北・中央の五方を意識した所作を厳格に守り、また唱えや神歌が明確に伝承されているなど、全体として古風を伝えていると考えられている。 以上のように三作神楽は、「神迎え」に始まり「神戻し」に終わる次第をよく伝え、また舞・唱え・神歌などに豊富な芸能内容をもっており、芸能の変遷の過程を知る上で特に重要であり、地域的特色も顕著である。 |
三作神楽
名称: | 三作神楽 |
ふりがな: | みつくりかぐら |
種別1: | 民俗芸能 |
保護団体名: | 三作岩戸神楽舞保存会 |
選択年月日: | 1994.12.13(平成6.12.13) |
都道府県(列記): | 山口県 |
市区町村(列記): | 新南陽市大字夏切 |
代表都道府県: | 山口県 |
備考: | 所在地が同一都道府県内のもの(このデータは種別1から移行しています) |
解説文: | この神楽は、新南陽市大字夏切【なつぎり】の林【はやし】、中村【なかむら】、原赤【はらあか】の人びとによって伝承され、同地域は、あわせて、かつての村名とされる「三作【みつくり】」と通称されている。この三作【みつくり】では地域内の神社七社の祭礼を「七年祭【しちねんさい】」として、六年目ごと(卯年と酉年にあたる)に地区内の河内社【かわちしや】で行い、本神楽は、その折に同社境内に仮設された「神殿【かんどん】」で舞われる。 一連の行事は、祭礼の数日前に神殿【かんどん】を建てる「神殿掛【かんどんか】け」から始まり、祭礼一日目に、当屋【とうや】から神殿【かんどん】に行列を組んで練り込む「道引【みちひ】き」(シャギリ)、湯立【ゆたて】行事による「神殿【かんどん】きよめ」があり、二日目の早朝に七社の神を迎える「神迎え」と「神殿入【かんどんい】り」、さらに神事の後に神楽を夜にかけて奉納する。翌日早朝に「神戻【かみもど】し」を行って、つぎに神殿【かんどん】を解体する「神殿破【かんどんやぶ】り」(神殿【かんどん】とき)を行い行事が終了する。 三作神楽の演目は、『清【きよ】めの舞』『卓【しよく】の舞』『四【よ】つ太刀【たち】の舞』『芝鬼神【しばきじん】の舞』『三方荒神【さんぽうこうじん】の舞』など二三番と多く、また台詞【せりふ】や神楽歌が明確に伝承されていて舞振【まいぶり】も古風を伝えるとされ、さらに大規模な仮説の神殿【かんどん】を設けるなど、芸能の変遷の過程を示し地域的特色をもち重要である。 |
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