たま電気自動車とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 工学 > 自動車技術一覧 > たま電気自動車の意味・解説 

たま電気自動車

終戦により立川飛行機(後のプリンス自動車)は自動車メーカーへの転換図り東京都北多摩郡府中町工場借りて電気自動車造るになった当時ガソリン統制時代燃料事情悪かったため、電気自動車着目して研究すすめた
昭和21年には試作車(EOT-46)2台が完成オオタトラック荷台の下にバッテリー積みボンネットの下にエンジン代りモーター入れただけのものだった
22年には、独自設計によるのボディによる試作車(EOT-47)が完成フェンダー直接取り付けられヘッドランプや、アリゲーター型ボンネットカバー等新しアイディア取り入れたのだった
5月待望乗用車(E4S-47)が完成車名土地の名にちなんで「たま」とした。
2ドアセダン、最高速度35km/h、1充電走行距離65km。
6月社名を「東京電気自動車」とし、その後順次改良型発売49年型たまセニア号では、1充電200kmの走行可能になった。

保管場所:日産自動車(株)座間事業所 (〒228-0012 神奈川県座間市広野台2-5000)

製作(製造)年:1947

製作者(社):東京電気自動車株式会社

資料種類:量産品

現状:保存非公開

車名 / 製作
車名:たま電気自動車

モデル名:E4S-47-1型

会社名:東京電気自動車(株)

製作年:1947

車種用途:小型電気乗用車

実車所在/模型:日産自動車座間

型式 / 重量
スタイル:セダン

ドア:2ドア

乗員:4名

車両重量:1050kg

車体 / 寸法
構造:木骨スチール

バンパー:スチール

ステップ:あり

全長:3,200mm(バンパー共)

全幅:1,270mm

全高:1,650mm

車体 / 車軸 /
操縦 / 付属
フレーム:梯子

前軸:逆エリオット型

後軸:セミフローティング式

軸距:2,000mm

ステアリング:ウォームアンドローラー式

機関 / 寸法 /
出力
気化器:なし

最高出力/回転数:4.5PS

特徴:電動機36ボルト120アンペア 蓄電池40ボルト162アンペア

ハイブリッド
ハイブリッドシステム形式:なし

駆動系
変速機:2速

性能
モード燃費:-

参考文献:1)『日産自動車社史(1964-1973)』日産自動車1975年、2)プリンス自動車工業社史、3)『国産車100年軌跡別冊モーターファン

その他事項:前照灯:2灯;足ブレーキ:機械式4輪制動;最終減速:7.72;最高速度:35km/h;ワイパー:あり;


たま電気自動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/03 08:26 UTC 版)

たま電気自動車
E4S-47
フロント
リア
概要
製造国 日本
販売期間 1947年 - 1950年
ボディ
乗車定員 4名
ボディタイプ 2ドア セダン
エンジン位置 フロント
駆動方式 後輪駆動
パワートレイン
モーター 直流直巻モーター
最高出力 定格3.3 kW(4.5 ps)
変速機 2速
サスペンション
縦置リーフ
縦置リーフ
車両寸法
ホイールベース 2,000 mm
全長 3,035 mm
全幅 1,230 mm
全高 1,618 mm
車両重量 1,100 kg
その他
ブレーキ ロッド式ドラムブレーキ
テンプレートを表示

たま電気自動車は、1940年代後半から1950年代初頭にかけて、立川飛行機の流れを汲む東京電気自動車株式会社(1949年に本車両に因み「たま電気自動車株式会社」に改名、プリンス自動車工業株式会社の前身)が製造・発売していた、世界で初めて量産された電気自動車[1]。車名は工場の位置する地名の「多摩」から命名された[2][3]

歴史

製造元の東京電気自動車は、1945年の日本の敗戦に伴い軍需産業からの撤退を余儀なくされた立川飛行機の関係者ら約200名によって立ち上げられた[2]

当時の日本ではガソリンの流通が統制されており安定した利用が期待できなかった一方で、電力に関しては山間部の水力発電所からの電力供給は滞りなく行われていたにもかかわらず、電力を大量に必要とする工場などは多くが空襲により操業不能に陥っていたため、民間への供給にも余裕があった[4]。これらの理由により電気自動車が当時の現状に適していると判断され、早くも1946年には2台の試作車が作成された。

東京電気自動車の設立と同年の1947年に東京都北多摩郡府中町(現・府中市)の借工場で量産が始まり、日立製作所が製造したモーターや湯浅蓄電池(現・GSユアサ)が製造した鉛電池を搭載していた[1]。派生型の開発と製造も行われていたが、1950年の朝鮮戦争勃発の煽りを受けてバッテリーの主要な原材料であるが高騰し、加えて同時期には電気自動車の開発を選択した最大の理由であったガソリンの供給状況が改善へ向かったため、1950年から1951年頃に全ての電気自動車の製造を終了した[2]

当車種以後、日本での電気自動車販売は長く途絶えていたが、21世紀に入って自動車各社で電気自動車の開発販売が本格化すると、このたま電気自動車は再注目されるようになった。2010年平成22年)、プリンス自動車工業を合併した日産自動車が電気自動車『初代リーフ』を発売する際、社内の有志によりE4S-47型(下記参照)が原型への復元と走行可能な状態への整備が行われ、横浜市西区みなとみらい地区にある日産グローバル本社ギャラリーで一般公開された[5]。同年には一般社団法人日本機械学会から「機械遺産」の認定を受けた[1]。その後、この復元車両は同社座間事業所に開設されている「日産ヘリテージコレクション」へ移動され、動態保存の状態で社外への一般公開、および同コレクションのウェブサイト内でのオンライン公開などが行われている。

車種

  • EOT-46型 - 試作車。オオタ型トラックを流用して製作された[2]
  • EOT-47型 - 乗用車型に先行して発売されたトラック型。2人乗りで荷台には500kgまでが積載可能であった。
  • E4S-47型 - 乗用車型。タクシー等として運用された。1948年に商工省(現・経済産業省)が主催した第1回電気自動車性能試験において、航続距離96km、最高速度35km/hというカタログ記載値以上の突出した性能を発揮し、高い評価を受けた。
  • E4S-48型 / E4S-49型 - 通称「たまジュニア」。1948年に発売されたモデルで、従来品の木骨鋼鈑張りではなく全鋼鈑製のボディを採用しているなど、外見が近代的なものに一新された。
  • EMS-49型 - 通称「たまセニア」。1949年に発売された5人乗り4ドアセダンタイプで、車格が拡大されたほか一度の充電で200kmの走行が可能となり、最高速も従来のたまを大幅に上回る55km/hまで引き上げられた。

脚注

出典

  1. ^ a b c 『日本機械学会誌』vol.121 世界初の量産電気自動車「たま」”. 一般社団法人日本機械学会 (2018年4月). 2021年9月12日閲覧。
  2. ^ a b c d 第2回 「キ77」と電気自動車「たま」。そして「日産リーフ」”. 2024年6月2日閲覧。
  3. ^ たま電気自動車”. 2020年11月20日閲覧。
  4. ^ 【写真館】リーフのご先祖様! 70年も前に存在していた「たま電気自動車」って知ってる?”. 2020年11月20日閲覧。
  5. ^ たま電気自動車が機械遺産に”. Response. (2010年7月26日). 2021年9月12日閲覧。

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「たま電気自動車」の関連用語

たま電気自動車のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



たま電気自動車のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
社団法人自動車技術会社団法人自動車技術会
COPYRIGHT(C)SOCIETY OF AUTOMOTIVE ENGINEERS OF JAPAN, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのたま電気自動車 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS