きゅうほりしていえんとは? わかりやすく解説

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旧堀氏庭園

名称: 旧堀氏庭園
ふりがな きゅうほりしていえん
種別 名勝
種別2:
都道府県 島根県
市区町村 鹿足郡津和野町
管理団体
指定年月日 2005.07.14(平成17.07.14)
指定基準 名1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 堀氏は、近世初期から近代にかけて、笹ヶ谷銅山などの採掘従事した銅山師の家系である。特に、第9代藤十郎伴義(1739~1806)は笹ヶ谷銅山経営における堀氏主導的な地位築き津和野白石川沿いに主屋をはじめ堀氏住宅の主要建築群を建造したまた、第15代藤十郎礼造(1853~1924)は近辺鉱山次々と購入して経営拡大し、「楽山」と号して主屋隣地数寄屋建築庭園構えたほか、その近辺鉱山開発に関わった労働者住民のための病院などを整備した
旧堀氏庭園は天明5年(1785)建造主屋南面する枯山水庭園のほか、明治33年1900建造数寄屋建築楽山荘」とその庭園の「楽山園」、大正4年(1915)に白石川対岸傾斜地石組み施して築造した「和楽園」と養魚池明治末期から大正時代堀氏建設した畑迫病院外構造園を含む計4箇所園地から成る
主屋庭園書院南面する前庭部土塀囲み、庭門から書院沓脱経て矩折に飛石打ち、その周囲石組みや置燈籠灌木植込みなどを配置した簡素小規模な枯山水庭園である。江戸時代定着した書院前庭定型示し、主座敷付書院付近に位置する視点からの正面性活かした意匠構成となっている。
これに対し近代造営され楽山荘と楽山園、及び対岸和楽園では、それぞれ高低差のある地形巧みに利用して変化に富んだ多彩な景観構成生み出している。特に楽山園では、背後の山域に堀氏が拓いた銅山坑口からを引き、離れ落ち形式をもつ2段勇壮な石組を築くほか、池辺飛石沿って雪見灯籠十三重の層塔石灯籠見所となるように石造物配置するなど、意匠構成両面において秀逸である。楽山荘の主座敷座すと、左手から滝の水音とともに迫る幽邃山腹が池の水面へと連なり右手にかけて白石川沿いの水田から対岸和楽園へ、さらには中腹設けられ六角形四阿へと連続する一幅の絵のような風景展開する
白石川対岸和楽園では、傾斜面足下中島擁する石組みの池を穿ち、そこから上方六角形四阿に至るまで、露頭わずかな凹みに石を組んで小径が拓かれている。さらにその上方の展望地点からは、堀氏銅山経営拠点とした白石川沿いの谷筋全体を望むことができるなど、複数視点定めることにより地域空間と一体となった独特の景観構成見られるまた、和楽園の石組みの池の東には鯉・鮒養殖するための3つの方形池が連続し意匠性の高い石組みの池のみならず実用的な養魚池をも組み合わせて観賞対象としていたことがうかがえる
主屋から約1km下流に当たる白石川左岸には、明治25年(1892)に堀藤十郎礼造が建設した畑迫病院敷地と建物の跡が存在する当初の建築失われたが、大正5年1916)に増築され木造病院建築敷地の西半部に現存する病室手術室面する前庭部には、精製物から製造された鍰煉瓦用いて花壇造られ主屋背後温室育てられチューリップオジギソウなどの草花移し植えられたほか、ドクダミなどの薬草栽培されていた。また、東側外来患者玄関口通ず門前には一対カイヅカイブキ老木当時のまま遺っており、玄関前の広場中心に円形築山痕跡明瞭に遺存する。畑迫病院跡は堀氏関連重要な福祉医療施設遺跡であり、その敷地近代病院造園遺構として貴重である。
上のように、旧堀氏庭園は主屋前庭楽山園和楽園、畑迫病院外構造園遺構など優秀な意匠構造をもつ多彩な造園要素から成り、それらが堀氏銅山開発主軸として相互に緊密な関係をもちつつ、白石川谷地形及び川沿い土地利用とも一体となって独特の景観構成見せる。
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