当初の建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/18 16:17 UTC 版)
「サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城」の記事における「当初の建築」の解説
サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、ミラノの軍事技師の家に生まれたジョヴァン・バッティスタ・アントネッリ(Giovan Battista Antonelli, フアン・バッティスタ・アントネジ)によって、1637年に設計された。都市には、1590年から1610年に建造されていたより小さな要塞が存在していたが、都市の総督であったペドロ・デ・ラ・ロカ・イ・ボルハ(Pedro de la Roca y Borja)は、襲い来る海賊への防衛施設として新たに依頼したのである。 アントネッリの設計は、湾の中で伸びる岬の切り立った崖の上に城塞を建てるという条件に順応したもので、ひと続きの段丘の上に建てられた。城塞は主に4層構造で、大砲を備えた3つの城壁に守られていた。 必需品は海路で運び込まれ、岩を直接切り出した大きな倉庫に収蔵されるか、シタデルがあった最上層に搬入された。 シタデルの建設は1638年から始めて42年を要したが、最終的な工事は断続的に続けられて1700年に完成した。アントネッリはシタデルの大規模な建設工事が開始されてから間もなくにあたる1645年に呼び戻されたが、彼の他の作品は2つの城塞(Fuerte del Cojimar, Fuerte de Santa Doratea de Luna de Chorrera)でも見ることが出来る。より早期の要塞の構造物の中には、後の主要建築物に取り込まれたものもある。
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