当初の審査員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 06:12 UTC 版)
「2020年東京オリンピック・パラリンピックのエンブレム」の記事における「当初の審査員」の解説
佐野案新エンブレム最終4作品に比べ、割合で「ワードマーク」が小さくて「シンボル」が大きめ。 8人(永井・浅葉・平野は「亀倉雄策賞」受賞歴あり) 生備考永井一正 1929 グラフィックデザイナー(札幌五輪エンブレムのデザイナー)。 浅葉克己 1940 グラフィックデザイナー。組織委の文化・教育委員会委員。 細谷巖 1935 グラフィックデザイナー、アートディレクター。 平野敬子 1959 グラフィックデザイナー。 長嶋りかこ 1980 グラフィックデザイナー。 高崎卓馬 1969 電通所属。組織委・企画財務局クリエイティブディレクターでもあったが、後に退任。 片山正通 1966 インテリアデザイナー。 真鍋大度 1976 メディアアーティスト。 2014年11月、「組織委の意向に従って公表された場合を除き、審査情報を永久に秘密として保持しなければならない」といった主旨の秘密保持誓約書について、組織委の担当者から各審査員へ通達があったという。少なくとも平野敬子は、数日後の審査初日の朝、他の審査員に意思を伝えた上で組織委に交渉し、サインせずそのまま審査員を務めることになった。なお、東京2020エンブレム委員会でも同様に、討議内容等を一切外部に漏らしてはならない旨の約束書へのサインが最初に求められたという。
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