当初の地方官会議
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当初の1874年(明治7年)の設置は、大阪会議で木戸孝允が構想し、開設が決定した。1875年(明治8年)以来3回、地方民情を知るために、県令および府知事を招集した。地方民会や三新法など地方自治に関係のある、地方行政を巡る諸問題を審議した。なお、元老院に対する下院のつもりであるが、実質は官選の事務官会議であった。 1875年6月20日、地方官会議開院式が、7月17日、閉院式がおこなわれた(明治史要 東京大学史料編纂所蔵版)。1878年4月10日、第2回地方官会議、開会式(議長伊藤博文)、三新法などを審議し、5月3日、閉会(明治史要 東京大学史料編纂所蔵版)。1880年2月5日、第3回地方官会議を開会(議長伊藤博文)、区町村会法、備荒儲蓄法などを審議し、2月28日、閉会(明治史要 東京大学史料編纂所蔵版)。
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