旧大乗院庭園
名称: | 旧大乗院庭園 |
ふりがな: | きゅうだいじょういんていえん |
種別: | 名勝 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 奈良市高畑町 |
管理団体: | 財団法人日本ナショナルトラスト(昭48・4・14) |
指定年月日: | 1958.05.15(昭和33.05.15) |
指定基準: | 名1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成15.08.27 |
解説文: | 大乘院の庭園は平安時代に創設されたもののようであるが、室町時代中期に大乘院の門跡・尋尊が善阿彌に依頼して修補せしめたものである。善阿彌は足利義政の同朋であり作庭界の第一人者であった。当時にあっては東大池と西小池があり、東大池には南中島と北中島が作られ、これらが庭園の主要な地割をなしていた。明治以後荒廃し、その西部と南部とはかなり変化して、西小池も南中島も現存しないが、全体としては室町時代の地割を残している。もっとも優秀な作庭が行われた室町時代のもっとも優秀な山水河原者・善阿彌の作庭遺構として貴重である。 |
旧大乗院庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/21 07:37 UTC 版)



旧大乗院庭園(きゅうだいじょういんていえん)は奈良県奈良市高畑町にある日本庭園。国の名勝。南都飛鳥殿園の別名がある[1]。
概要
大乗院は一乗院と並んで両門跡と称された興福寺の門跡寺院で[2]、寛治元年(1087年)に興福寺の北方に創建された[2]。ところが、治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討で全焼した[2][1]。そのため養和元年(1181年)に鬼薗山(飛鳥山)南麓の元興寺別院禅定院跡地に移築されたが[1]、宝徳3年(1451年)に発生した徳政一揆で伽藍の大半を焼失し、翌年から復興を開始した[2]。
庭園は寛正4年(1463年)に尋尊が善阿弥親子に作庭を委ねたもので、南都随一の名園と讃えられ、江戸時代に景観が整えられたものである[2][1]。
大乗院は廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となり[3]、明治5年(1872年)までには御殿が個人宅となった[2]。明治42年(1909年)に奈良ホテルが開業すると[2]、同ホテルの南側に隣接する庭園となり[3]、昭和30年(1955年)頃までその敷地となっていた[2]。
戦後その一部が整備され、森蘊による研究なども奏功して、昭和33年(1958年)に国の名勝に指定された。1973年からは財団法人観光資源保護財団(後の公益財団法人日本ナショナルトラスト)が庭園の管理を行っている[1][4]。
平成7年(1995年)から奈良国立文化財研究所(現・奈良文化財研究所)による発掘調査と並行して復原工事が進められた。平成12年(2000年)秋の調査では東池と西池の中間に2つの小さな丘と、その間に掘削された溝が発掘された。翌13年(2001年)の調査では小さな滝と中島を備えた池が発見され、北池と仮称された。平成22年(2010年)に復原事業が完成した。
名勝大乗院庭園文化館
1996年に財団法人日本ナショナルトラストのヘリテージセンターとして「名勝大乗院庭園文化館」が開館し、資料展示のほか、休憩利用や茶室利用が可能な施設となっている[1]。復元した楽人長屋土塀を外構としている。
所在地
〒630-8301 奈良県奈良市高畑町1083-1
交通アクセス
奈良交通「福智院町」または「奈良ホテル」下車すぐ。
参考文献
- 奈良文化財研究所編『奈良の寺 ー世界遺産を歩くー』(岩波新書)
- 箱崎和久「名勝旧大乗院庭園 あゆみとこれから」『日本ナショナルトラスト報』第516号、日本ナショナルトラスト、2016年、2-5頁。
脚注
関連項目
外部リンク
- 名勝旧大乗院庭園(日本ナショナルトラスト)
- 名勝 旧大乗院庭園とは(奈良ホテル)
- 旧大乗院庭 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
固有名詞の分類
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