いすゞ・TX
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TX(ティーエックス)は、いすゞ自動車が1935年から1979年にかけて製造・販売していた3.5-6.5t積みトラックである。
- ^ 軍用自動車補助法の適用を受けたのは他に東京瓦斯電気工業(通称"瓦斯電")、ダット自動車製造があった
- ^ 昭和初期、瓦斯電・ダット・石川島を合わせて国産3社もしくは保護自動車3社と呼ばれた
- ^ 国産自動車工業確立調査委員会は、商工省、大蔵省、内務省、陸軍省、海軍省、鉄道省の関係局長と東京帝国大学教授二名、メーカーからは石川島の渋沢、瓦斯電の松方、ダットの久保田の各社長が名を連ねた
- ^ 上山邦雄「戦前期日本自動車産業の確立と海外展開(上)」『城西経済学会誌』第37巻、城西大学経済学会、2016年3月、33-64頁、CRID 1390290700502914176、doi:10.20566/02872072_37_33、ISSN 0287-2072。
- ^ 国産自動車工業確立調査委員会が検査したのはスミダL型・瓦斯電TGE-L型・ダット61型の3台
- ^ この頃の末尾の数字は軸距を示している
- ^ 重量の大きくなるBX45のみ油圧ブレーキを備えていた。その他は同時期に一般的であった機械式ブレーキ仕様
- ^ a b 大場四千男「日本自動車産業と総力戦体制の形成(二)」『開発論集』第102巻、北海学園大学開発研究所、2018年9月、147-148頁、CRID 1050845762683631616、ISSN 0288-089X。
- ^ 九四式六輪自動貨車は、陸軍自動車学校研究部の前野四郎中佐が開発に非常な努力を注いだ結果、後に戦地の兵隊からNo1の評価を得たトラックだった。通称前野六輪。池貝自動車が量産した他、瓦斯電ではチヨダJM型、川崎車両では六甲ST40の呼称で同一車両が生産された
- ^ 戦時体制に突入し三菱重工業、日立製作所、池貝自動車、川崎車両は資本参加を余儀なくされる
- ^ 即製A案に日産は180型トラック、トヨタはKB型トラックで対応。更に簡素化したB案とは、外装類を極力簡素化(木製化や長さ半減、メッキレス)ブレーキは1系統で後輪のみ、前照燈は一個のみなど、徹底したもので、トヨタはこれにKC型トラックで対応した
- 1 いすゞ・TXとは
- 2 いすゞ・TXの概要
- 3 脚注
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