『南北』誌 - イマージュ論とは? わかりやすく解説

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『南北』誌 - イマージュ論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 05:08 UTC 版)

ピエール・ルヴェルディ」の記事における「『南北』誌 - イマージュ論」の解説

1909年徴兵制度により兵役服する年齢達したが、「心臓病」を理由免除され、翌1910年パリ出たルヴェルディは、友人画家紹介当時まだ貧しかった画家作家住んでいたモンマルトル部屋借り翌年同地区ラヴィニャン通り13番地の「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」の詩人マックス・ジャコブのもとに身を寄せたピカソ1906年から1907年にかけて『アビニヨンの娘たち』を描いた場所、キュビスム誕生した場所として知られる古い木造家屋である。「洗濯船」に住んでいたのは、ピカソマックス・ジャコブのほか、同じくスペイン出身画家フアン・グリス彫刻家のパコ・ドゥリオことフランシスコ・ドゥリオフランス語版)、オランダ出身画家キース・ヴァン・ドンゲンイタリア出身画家アメデオ・モディリアーニ詩人のアンドレ・サルモン(フランス語版)、作家のピエール・マック・オルラン(フランス語版)らであったが、入居者だけでなく、モーリス・ド・ヴラマンクジョルジュ・ブラックマリー・ローランサンギヨーム・アポリネールアンリ・マティスアンリ・ルソーなど多く画家作家出入りする前衛芸術文学拠点であった1917年3月に、マックス・ジャコブアポリネールとともに南北』誌を創刊し主筆務めたキュビスム雑誌ダダイスム次いでシュルレアリスムの先駆とされる前衛芸術文学雑誌であり、誌名南北』は、1910年パリ2つ前衛芸術家文学者活動拠点モンマルトルパリ北部)とモンパルナスパリ南部)をつなぐ地下鉄開通したことに因んで命名され、この2つ拠点をつなぐことを意図したものであった(「貧乏人ヴィラ・メディチ」と呼ばれ、主に亡命画家マルク・シャガールシャイム・スーティンらが住んでいたモンパルナスの「ラ・リューシュ蜂の巣)」は、モンマルトルの「洗濯船」に匹敵する若い芸術家活動拠点であった)。発行部数100200部と少なかったが、1917年3月15日から1918年10月まで計16号刊行され資金援助をしたのは、ピカソの『アビニヨンの娘たち』を購入するなど美術品蒐集家としても知られる服飾デザイナーのジャック・ドゥーセ(フランス語版)や、芸術サロン主催しココ・シャネルと最も親しかったミシア・セールであった。ルヴェルディはこうした付き合いから、当時シャネル恋愛関係にあったとされ、ミシア・セールは、ルヴェルディはシャネルが「初めて本気で愛した男性である」とすら語っていた。 『南北』誌の主な寄稿者は、ジャコブアポリネール、ルヴェルディのほか、ジョルジュ・ブラックチリ出身詩人ビセンテ・ウイドブロ(フランス語版)、アンドレ・ブルトントリスタン・ツァラジャン・コクトールイ・アラゴンフィリップ・スーポー、ポール・デルメ(フランス語版)、イタリア作家劇作家作曲家アルベルト・サヴィニオであった。ルヴェルディは月刊コラム担当し、詩を発表するほか、「キュビスムについて」 をはじめとするキュビスム友人ピカソブラックに関する記事、「文学的美学論」、「伝統」、「イマージュ」などの評論掲載している。特に彼のイマージュ論は若いブルトンひいてはシュルレアリスム運動の理論化大きな影響及ぼしブルトンの『シュルレアリスム宣言』(1924年)において引用されている。 イマージュ精神純粋な創造物である。それは直喩から生まれることはできず、多かれ少なかれたがいにへだたった二つ現実接近から生まれる。接近する二つ現実の関係が遠く、しかも適切であればあるほど、イメージはいっそう強まり、いっそう感動の力と詩的現実性をもつようになるだろう。 ただし、ブルトンは、「シュルレアリスム的な」イメージは、無関係な現実レアリテ)や事物意図的に接近させるのではなくあくまでも偶然の産物なければならない考えていた。また、美的なものは対象として存在するのでなく、作品制作過程から生まれるというルヴェルディの美学論はピュリスム理論確立にも大きな影響与えた一方ジョアン・ミロは、この雑誌主宰したルヴェルディと、彼を中心とする活気満ちた新たな芸術運動捧げる油彩南北』を発表。さらに、ルヴェルディは後に評伝パブロ・ピカソ』(1924年)を著すことになるが、ピカソは、ルヴェルディは「絵を描くように(詩を)書こうとしている」と評した

※この「『南北』誌 - イマージュ論」の解説は、「ピエール・ルヴェルディ」の解説の一部です。
「『南北』誌 - イマージュ論」を含む「ピエール・ルヴェルディ」の記事については、「ピエール・ルヴェルディ」の概要を参照ください。

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