『南北』誌 - イマージュ論
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「ピエール・ルヴェルディ」の記事における「『南北』誌 - イマージュ論」の解説
1909年、徴兵制度により兵役に服する年齢に達したが、「心臓病」を理由に免除され、翌1910年、パリに出たルヴェルディは、友人の画家の紹介で当時まだ貧しかった画家や作家が住んでいたモンマルトルに部屋を借り、翌年、同地区ラヴィニャン通り13番地の「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」の詩人マックス・ジャコブのもとに身を寄せた。ピカソが1906年から1907年にかけて『アビニヨンの娘たち』を描いた場所、キュビスムが誕生した場所として知られる古い木造家屋である。「洗濯船」に住んでいたのは、ピカソ、マックス・ジャコブのほか、同じくスペイン出身の画家フアン・グリスや彫刻家のパコ・ドゥリオことフランシスコ・ドゥリオ(フランス語版)、オランダ出身の画家キース・ヴァン・ドンゲン、イタリア出身の画家アメデオ・モディリアーニ、詩人のアンドレ・サルモン(フランス語版)、作家のピエール・マック・オルラン(フランス語版)らであったが、入居者だけでなく、モーリス・ド・ヴラマンク、ジョルジュ・ブラック、マリー・ローランサン、ギヨーム・アポリネール、アンリ・マティス、アンリ・ルソーなど多くの画家や作家が出入りする前衛芸術・文学の拠点であった。 1917年3月に、マックス・ジャコブ、アポリネールとともに『南北』誌を創刊し、主筆を務めた。キュビスムの雑誌、ダダイスム、次いでシュルレアリスムの先駆けとされる前衛芸術・文学雑誌であり、誌名『南北』は、1910年にパリの2つの前衛芸術家・文学者の活動拠点モンマルトル(パリ北部)とモンパルナス(パリ南部)をつなぐ地下鉄が開通したことに因んで命名され、この2つの拠点をつなぐことを意図したものであった(「貧乏人のヴィラ・メディチ」と呼ばれ、主に亡命画家のマルク・シャガール、シャイム・スーティンらが住んでいたモンパルナスの「ラ・リューシュ(蜂の巣)」は、モンマルトルの「洗濯船」に匹敵する若い芸術家の活動拠点であった)。発行部数は100~200部と少なかったが、1917年3月15日から1918年10月まで計16号刊行され、資金援助をしたのは、ピカソの『アビニヨンの娘たち』を購入するなど美術品蒐集家としても知られる服飾デザイナーのジャック・ドゥーセ(フランス語版)や、芸術サロンを主催し、ココ・シャネルと最も親しかったミシア・セールらであった。ルヴェルディはこうした付き合いから、当時シャネルと恋愛関係にあったとされ、ミシア・セールは、ルヴェルディはシャネルが「初めて本気で愛した男性である」とすら語っていた。 『南北』誌の主な寄稿者は、ジャコブ、アポリネール、ルヴェルディのほか、ジョルジュ・ブラック、チリ出身の詩人ビセンテ・ウイドブロ(フランス語版)、アンドレ・ブルトン、トリスタン・ツァラ、ジャン・コクトー、ルイ・アラゴン、フィリップ・スーポー、ポール・デルメ(フランス語版)、イタリアの作家、劇作家、作曲家のアルベルト・サヴィニオらであった。ルヴェルディは月刊コラムを担当し、詩を発表するほか、「キュビスムについて」 をはじめとするキュビスムの友人ピカソやブラックに関する記事、「文学的美学論」、「伝統」、「イマージュ」などの評論を掲載している。特に彼のイマージュ論は若いブルトン、ひいてはシュルレアリスムの運動の理論化に大きな影響を及ぼし、ブルトンの『シュルレアリスム宣言』(1924年)において引用されている。 イマージュは精神の純粋な創造物である。それは直喩から生まれることはできず、多かれ少なかれたがいにへだたった二つの現実の接近から生まれる。接近する二つの現実の関係が遠く、しかも適切であればあるほど、イメージはいっそう強まり、いっそう感動の力と詩的現実性をもつようになるだろう。 ただし、ブルトンは、「シュルレアリスム的な」イメージは、無関係な現実(レアリテ)や事物を意図的に接近させるのではなく、あくまでも偶然の産物でなければならないと考えていた。また、美的なものは対象として存在するのでなく、作品の制作過程から生まれるというルヴェルディの美学論はピュリスム理論の確立にも大きな影響を与えた。一方、ジョアン・ミロは、この雑誌を主宰したルヴェルディと、彼を中心とする活気に満ちた新たな芸術運動に捧げる油彩『南北』を発表。さらに、ルヴェルディは後に評伝『パブロ・ピカソ』(1924年)を著すことになるが、ピカソは、ルヴェルディは「絵を描くように(詩を)書こうとしている」と評した。
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