「裸足の泥棒」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/07 11:04 UTC 版)
「コルトン・ハリス=ムーア」の記事における「「裸足の泥棒」」の解説
2008年4月、ハリス=ムーアは収容先の更生施設から脱走(脱獄)した。同年7月18日にはカマーノ島でメルセデス・ベンツの盗難車を運転しているのを警察官に発見され追跡を受けたが、走行中の車両から飛び降りて森の中へ逃走した。遺された車内には盗品が積まれており、その一つであるデジタルカメラには、ハリス=ムーア自身が撮影した彼の顔写真が記録されていた。口元に微かな笑みを浮かべるこの写真は、後の報道やファン活動で頻繁に使われ、彼の肖像としてよく知られた。ハリス=ムーアはしばらく同島の森林に潜伏し、周辺の3郡では彼の仕業と思しき窃盗被害が50件ほど相次いだという。 ハリス=ムーアが注目を浴びた理由の一つに、自動車やモーターボートばかりか軽飛行機をも盗んで使用したことが挙げられる。2008年10月にアイダホ州から盗み出された自家用機がカスケード山脈で墜落した事件では駐機されていた格納庫に裸足の足跡が遺されており、操縦者は山林に逃げ込み行方をくらました。このように彼が盗んだと目される航空機は最終的に計5機にも及び、その中にはKZOK-FMラジオの司会者Bob Rivers所有のセスナ 182も含まれた。ハリス=ムーアは航空機の操縦訓練を受けたことが無く、彼自身は後にバハマにおける裁判で「(航空機の操縦法は)幼い頃から知っていた」とうそぶいたが、実際は侵入先で航空機の操縦に関するwebサイトを閲覧したり、盗んだキャッシュカードを使いインターネットを通じて入手したマニュアルを読むなどして独学で操縦法を覚えたと考えられる。ハリス=ムーアの母親は、「アルベルト・アインシュタインに匹敵する知能指数を持つ息子が飛行機の操縦をしても不思議ではない。(その時点で彼の犯行と断定されていなかった航空機窃盗が)息子の仕業ならば、誇りに思う」と語った。 ハリス=ムーアは犯行現場に多くの痕跡を、時には故意に残すことがあった。侵入した家屋内や乗り物内に裸足の足跡を遺し「Barefoot bandit」「Barefoot Burglar」とあだ名されたほか、2010年2月に侵入したワシントン州の食料品店では自らチョークを使って足形を描いたり、同年6月には同州内の動物病院に「余分な現金を動物の世話に使って欲しい」旨と本名に「裸足の泥棒」の署名をした書き置きと共に100ドル札を遺したりした。一方、2009年9月にはサンフアン諸島(英語版)において盗みを試みるハリス=ムーアの姿が監視カメラに撮影されたり、現金自動預け払い機から2500ドルを盗んだ際に負傷して血痕を残しDNA型鑑定によって彼の犯行と知られるなど不手際もあったが、それでも警察や1万ドルの報奨金を懸けて彼の行方を追うFBIの追及をかわし続けた。 2010年7月3日夜から翌4日朝にかけ、ハリス=ムーアはインディアナ州・ブルーミントンの飛行場から一機のセスナ400(英語版)を盗み、その飛行機を操縦してバハマまで1760kmも飛んで不時着した。米側からの通報を受けて4日に同機を発見したバハマ当局は操縦者の捜索を開始、一週間後の7月11日にエルーセラ島付近で盗難ボートに乗ったハリス=ムーアを発見し、逃走を図るボートのエンジンを銃撃して立ち往生させ彼を逮捕した。逮捕されたハリス=ムーアは、バハマでまず同月13日に不法入国の罪で300ドルの罰金刑を受けた後、犯罪人引渡し条約に則って米国に強制送還された。彼はその後、2011年12月16日にアイランド郡で懲役7年以上の実刑判決を受け、さらに2012年1月27日には連邦地裁により懲役6年6ヶ月の実刑判決を言い渡された。
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