「複雑系」の恵み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/29 06:01 UTC 版)
「新しい複雑性」が現代音楽界を震撼させたのは、セリー理論に忠実に音楽を書くことを理想としていたはずのダルムシュタット夏期講習会で、作曲家自らが、聞きたい音楽のための理論を創出する事へ転換したことであった。近代のシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」から始まりブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル」や「婚礼の顔」を経た後、70年代は前衛の停滞が叫ばれ、なぜポスト・セリエルが行き詰まるのか、ほとんど誰もわからなかった。 「ポスト・セリエルには欠陥がある。音楽的密度の増減を自らが律してしまう」といった声を、音楽文化の僻地としか捉えられていなかったイギリスから発し、アイディアの欠如から来る苦し紛れから始まりながらも、ハイパー・ロマンチックな思考を駆使してまで解決したファーニホウの功績は大きい。しかし、ポスト・ファーニホウにも同様の問題が横たわっており、ヘルムート・ラッヘンマンやハンス・ツェンダーはファーニホウが複雑系の最終限界だと言い、前者はドナウエッシンゲン75周年記念の講演で「音楽はそうやってすでに死んだ」とも言っている。 クラウス・フーバーなどは1990年代のベルリンの現代音楽の講習会で「それでも音楽が時代を経るに連れて複雑になるのは、エントロピーの法則のように自然であり可能性がないわけではない」と言っている。事実アーロン・キャシディーは全編複雑極まりないタブラチュアで音符のない作品を生み出すことに成功し、ゲラルト・エッケルトは「特殊奏法の複雑性」をテーマとした作品に取り組みつづけている。追従する作曲家の数は減ったが、現在も尚影響力の大きな潮流の一つであるとされている。
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