「平等」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:16 UTC 版)
「反デューリング論」の記事における「「平等」について」の解説
「平等」という観念に関してデューリングは、例え話を活用して人間の平等性を論じる「平等論」を説いた。それは「二人の人間」の寓話を手がかりに、社会を形成するには二人以上の人間が必要で、これらの人間間における相互の権利と責任の平等性が必要であり、「二人の人間」の意志は平等であるべきだとする古典的な手法に基づく議論であった。 これに対して、エンゲルスはデューリングの手法が観念論に基づくものであるとして批判を加えた。エンゲルスの「平等論」は、平等を要求して展開される階級闘争から紐解こうとした。エンゲルスは平等を社会的な問題として捉え、これは具体的で歴史的に解明するのが正しい科学的な手法であると見なした。エンゲルスの「平等論」は要約すると、ブルジョワ階級による市民的平等を要求する運動と、プロレタリアート階級による経済的平等を要求する運動とに区分して、これらを科学的に俯瞰しながら議論を展開させる歴史学的な考察であった。 古代の社会では「平等」は、自分が属したポリス内で同胞である男性市民同士の平等に過ぎないものだった。戦争で獲得した奴隷は市民階級のもとに隷属しており、「平等」は奴隷制を前提に存在していた。中世のヨーロッパ社会では王権の確立とともに封建的な身分制度が発達し、こうした社会での平等はキリスト教が原罪を科された人間の神のもとでの平等が唯一のものであった。 しかし、中世社会はその内部に近代的な平等観念の担い手たるブルジョワ階級の形成を準備しており、産業や貿易の発達、新大陸の発見と開拓、ルネサンスの到来とともに新しい「平等」が確立していく。それが市民的平等である。ただし、こうした平等観念がただちに世界の変革者になることはなかった。ヨーロッパ社会は新大陸から流入する金銀によって大きな変動期を迎え、産業的で経済的な社会変動のもとに変革されていくことになる。新興の商人層と農村の手工業者は中世都市のツンフト的特権に挑戦し、中世的封建秩序に抵抗してこれを解体し始め、ブルジョワ階級による市民社会を形成し始めた。新興階級は自由に商品取引するブルジョワジーへと変貌を遂げ、耕地の囲い込みで発生した大量の余剰労働者を法律上平等な契約によって雇用して工場で使役するようになる。こうして産業革命によって確立した工場制機械工業の土台のもとに資本主義経済を形成していった。 だが、近代にはいって経済的には市民社会の時代になっていても、政治的には依然として封建的な絶対主義国家が存在していた。この絶対主義を打ち倒したのが市民革命である。清教徒革命、名誉革命、アメリカ独立革命、フランス革命はすべて絶対主義国家に対するブルジョワ階級の市民的平等をめぐる階級闘争の産物であった。一方、ブルジョワ階級中心の国民国家は内部に近代産業の担い手であるプロレタリアート階級による次なる平等の要求に直面する。それが経済的平等の要求である。プロレタリアートは階級社会の克服のために、階級そのものの廃止を要求している。資本家階級の資本を平等な共同所有に移管することによって国有化と計画経済の導入を図り、経済的平等を達成させていく。 このように、エンゲルスは「平等」観念というものを歴史過程を踏まえて社会的に捉えることにより正確な理解に到達しえるものとして理解していたのである。「平等」は歴史的な経過を辿って発展していったものであって、当然ながら永遠不変の真理ではないし、前世紀の解釈を根拠にして「平等」を正しく捉えることはできないということなのである。
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