「平田群島」という誤謬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:21 UTC 版)
ウェブを中心に、第二次世界大戦中にこの島が日本軍により占拠され、新南群島の一部として西沙諸島等とあわせて平田群島(ひらだ-)と改称され、高雄州高雄市の管轄とされた、との記述がしばしば見られる。しかし、これは誤りである。 実際には、「平田群島」との命名は、この島を日本人による新発見の島、と誤って伝えた第二次大戦前の新聞記事に端を発するものである。つまり、そもそも東沙諸島に対しての命名ではない。また言うまでもなく、この「新島」の発見が公式に認められた事実はない。なお「平田群島」とされたのは現在の西沙諸島であり、この中の「西沢島」と命名された島が東沙島にあたるとの説もある。 第二次大戦前から戦中に至る日本の公式見解では、東沙諸島および西沙諸島と新南群島は明確に区別されており、新南群島の一部に含まれていたという事実はない。また同期間においては、一貫して中華民国(汪兆銘政権)の領有とされており、日本が領有を主張した事実はない。このような誤りが広まった原因は不明である。
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