四股名 分類

四股名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 04:07 UTC 版)

分類

  • 四股名の太字は現役力士
自然現象などに由来
四股名 由来 備考
谷風梶之助 山谷風
雷電為右エ門
稲妻雷五郎
大砂嵐金崇郎 砂嵐 本名(シャーラン)への当て字でもあった
郷里の地名、名所などに由来
四股名 由来 備考
常陸山谷右エ門 常陸
栃木山守也 栃木
宮城山福松 宮城 現在の宮城県ではなく仙台藩地域
琉王優貴 琉球
琉鵬正吉
鷲羽山佳和 鷲羽山
大雪嶺登 大雪山
水戸泉政人 水戸
霧島一博 霧島
星誕期偉真智 タンゴ 下の四股名は本名への当て字でもあった
星安出寿保世 アンデス山脈 下の四股名は本名への当て字でもあった
戦闘竜扁利 セントルイス 下の四股名は本名への当て字でもあった
把瑠都凱斗 バルト海 下の四股名は本名への当て字でもあった
琴欧洲勝紀 欧州 2006年9月場所迄は琴欧州を名乗った
白露山佑太 ロシア
露鵬幸生
隠岐の海歩 隠岐諸島
御嶽海久司 御嶽山
恩人の名前、母の旧姓などに由来
四股名 由来 備考
前田山英五郎 自身を救った医者(前田和三郎)から
吉葉山潤之輔 自身を救った医者(吉葉庄作)から
五十嵐敬之助 自身の後援者の名前から
寺尾常史 自身の母親の旧姓から[注 10] 新十両場所のみ部屋ゆかりの源氏山力三郎を名乗った。
1987年9月場所迄は下の四股名も母親に由来して節男と名乗った。
轟亘 自身の後援会会員の名前から 1969年3月場所以降は本名の牧本英輔を名乗った
英乃海拓也 大学時代の相撲部監督、母親の名前、師匠の現役時代の四股名から1字づつ取った
朝乃山英樹 高校時代の相撲部監督の名前から 、人間脈、太刀などにも由来。
2022年7月場所以降の下の四股名は広暉を名乗る。
狼雅外喜義 高校時代の相撲部監督の名前から
阿炎政虎 師匠の愛称(アビ)から
古典文学などに由来
四股名 由来 備考
双葉山定次 栴檀は双葉より芳し
男女ノ川登三 筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる(百人一首
大鵬幸喜 荘子逍遥遊より
大受久晃 論語衛霊公より
歴史上や同時代の著名人・著名団体に由来
四股名 由来 備考
大瀬川半五郎 清水一家の侠客大瀬半五郎より
前田山英五郎 下の名前の部分が幕末の侠客・大前田英五郎に因んだ[注 11]
維新力浩司 維新軍の長州に因んだ
貴景勝光信 上杉景勝に因んだ
2023年5月場所以降の下の四股名は貴信を名乗る
若隆元渡 毛利三兄弟(毛利隆元吉川元春小早川隆景)に因んだ
若元春港
若隆景渥
実在・架空の動物に由来
四股名 由来 備考
鳳凰
天竜
大麒麟 麒麟 1970年3月場所迄は麒麟児を名乗った
猛虎浪
白馬 白馬
若兎馬 赤兎馬
母校に由来
四股名 母校名 備考
栃栄 埼玉栄高等学校
豪栄道
大翔栄 2012年9月場所以降は大栄翔を名乗った
朝青龍明徳 明徳義塾高等学校
豊響 響高等学校
栃飛龍 飛龍高等学校
玉ノ洋 東洋大学 2001年3月場所以降は玉乃島新を名乗った
大道 葛飾区立大道中学校
多賀竜 日立市立多賀中学校
タニマチに由来
四股名 タニマチ 備考
開隆山 開隆堂出版
高見盛 日本盛
力真 りきしん人形
貴源治貴公俊 龍神総宮社(創立者・辻本源治郎と二代目・辻本公俊)
本名および本名の一部改名
四股名 本名 備考
大内→大内山 大内平吉
成山 成山 1960年3月場所から1961年9月場所迄の下の四股名は準を名乗った
安念→安念山 安念 1962年7月場所以降は羽黒山を名乗った
明歩谷→明武谷 明武谷 1963年1月場所から7月場所迄は吉葉洋を名乗った

下の四股名は清・清之輔・巌・力伸・憲尚・皇毅・保彦と6回改名した

長谷川 長谷川勝敏 下の四股名は勝利・勝敏・勝廣・戡洋と3回改名した
金城 金城興福 1979年3月場所から1985年1月場所迄は栃光を名乗った
輪島 輪島 大関昇進以降の下の四股名は大士を名乗った
蔵間 蔵間竜也 下の四股名は竜也・龍矢・豹牙と3回改名した。
保志 保志信芳 大関昇進以降は北勝海を名乗った
出島 出島武春
垣添 垣添
髙安 高安
阿覧 アラン・ガバライエフ
山本山[注 12] 山本龍一
琴勇輝 榎本勇起
明生 川畑明生
石浦 石浦将勝 2021年1月場所以降の下の四股名は鹿介を名乗った
遠藤 遠藤聖大
大輝 中村大輝 2016年11月場所以降は北勝富士を名乗る
宇良 宇良和輝
竜虎 川上竜虎
木﨑海 木﨑伸之助
正代 正代直也
高橋 高橋優太 2024年1月場所以降は白熊を名乗る
無病息災を願った四股名
四股名 由来 備考
増健 膝が悪いため怪我をしないように 2005年11月場所以降は本名の柳川信行を名乗った
栃ノ巌 怪我が多いので体が丈夫になるように 1999年1月場所以降は栃栄篤史を名乗った(前述)
春日錦孝嘉 上半身に比べ下半身が弱いため足腰をしっかりするように名前部分を本名(孝洋)の読みのまま改名
師匠や先輩の四股名から文字を受け継ぐ
四股名 受け継がれた四股名 備考
栃錦清隆 栃木山-
玉乃海太三郎 玉ノ海
玉の海正洋 玉乃海
千代の富士貢 千代の山-北の富士
千代大海龍二 千代の富士
千代大龍秀政 千代大海
双羽黒光司 双葉山-羽黒山
若の里忍 若ノ花-隆の里
鶴竜力三郎 源氏山力三郎
貴ノ富士三造 玉ノ富士-千代の富士
師匠や父親・祖父の四股名を受け継ぐ
四股名 受け継いだ四股名 備考
貴ノ花光司 貴ノ花利彰 1994年11月場所以降の上の四股名は貴乃花を名乗った
栃東大裕 栃東知頼
佐田の海貴士 佐田の海鴻嗣
琴櫻将傑 琴櫻傑將 2019年7月場所から2024年3月場所までの上の四股名は父親にちなんだ琴ノ若を名乗った。
霧島鐵力 霧島一博
部屋ごとに四股名に決まった文字をつける例
  • 四股名の初めの文字の例
部屋名 文字 備考
出羽海部屋 「常」「常陸」「出羽」
立浪部屋 「立」
春日野部屋 「栃」
佐渡ヶ嶽部屋 「琴」
片男波部屋 「玉」
二子山部屋 「若」
間垣部屋
花籠部屋
放駒部屋 旧松ヶ根部屋・旧二所ノ関部屋も使用
西岩部屋
友綱部屋 「魁」
浅香山部屋
放駒部屋 上記2部屋とは別系統
安治川部屋 「陸奥」 3代安治川時代に使用
「安」 4代・8代安治川時代に使用
伊勢ヶ濱部屋
(9代伊勢ヶ濱時代)
「照」
大島部屋 「旭」
旧友綱部屋
(11代友綱時代)
中川部屋
追手風部屋 「大(翔)」「追風」
時津風部屋 「時(津)」「双」
井筒部屋 「鶴」
陸奥部屋 「星」 7・8代陸奥時代に使用
「霧」 9代陸奥時代に使用
高田川部屋
(8代高田川時代)
「前」
九重部屋 「千代」
「千代大」 14代九重時代に使用
八角部屋 「北勝」「保志」  
高砂部屋 「朝」 若松部屋(11代時代)も使用
「富士」 富士ヶ根部屋より使用
三保ヶ関部屋 「増」
千賀ノ浦部屋→常盤山部屋 「舛」 19代千賀ノ浦時代に使用
「隆」 20代千賀ノ浦時代に使用
鳴戸部屋→田子ノ浦部屋
境川部屋 「佐田」 9代時代の出羽海部屋でも使用
木瀬部屋 「木瀬」 別系統の旧木瀬部屋でも使用
「肥後」 熊本県出身力士のみ使用
錣山部屋 「寺尾」
田子ノ浦部屋 「久」「碧」
貴乃花部屋 「貴」 藤島・二子山部屋も使用
朝日山部屋 「朝日」
鳴戸部屋 「欧」
押尾川部屋 「風」 22代押尾川時代に使用
  • 四股名の終わりの文字の例
部屋名 文字 備考
立浪部屋 「浪」
入間川部屋 「司」
尾車部屋 「風」
伊勢ヶ濱部屋
(5代-8代伊勢ヶ濱時代)
「瀬川」
桐山部屋
伊勢ヶ濱部屋
(9代伊勢ヶ濱時代)
「富士」 旧安治川部屋時代も一時期使用
九重部屋
(12代九重時代)
式秀部屋 「桜」
山響部屋
(旧北の湖部屋時代も含む)
「湖」
鳴戸部屋 「里」
宮城野部屋 「鵬」
  • 四股名の初め・終わりどちらにも使われる文字の例
部屋名 文字 備考
立浪部屋 「羽黒」
「豊」 7代立浪時代に使用
時津風部屋
玉ノ井部屋 「東」
追手風部屋 「翔」
春日山部屋 「春日」
武蔵川部屋 「武蔵」
「武」 14代時代は四股名の初めのみ使用
二子山部屋
(14代二子山時代)
「雅」
朝日山部屋 「錦」
西岩部屋 「里」
  • 多くは部屋の名前あるいは師匠や創設者の現役名に由来する。この中で八角部屋の「保志」は師匠の本名であり、このような例は現代では稀である(ただし師匠北勝海は関脇まで本名で取っていた)。また錣山部屋の「寺尾」は師匠の現役時代の四股名ではあるが、元々の由来は寺尾の母親(14代井筒夫人)福薗節子の旧姓である(節子の父寺尾政喜も力士ではあったが四股名は「加賀錦」で、「寺尾」を名乗った場所はない)。片男波部屋の「玉」もその由来を辿ると二所ノ関部屋の開祖である5代二所ノ関夫人の名(おたま)にまで遡る。旧国名そのものである「出羽」、「武蔵」などのほか、「栃」(栃木山栃木県)、「旭」(初代旭國旭川市)、「琴」(初代琴錦琴弾八幡宮)など、現在では部屋伝統のイメージとして定着している文字には元来は地名由来であったものも多い。安治川部屋では4代(元関脇陸奥嵐)時代には自身の現役時の四股名から「陸奥(むつ)」を冠していたが、同時期には陸奥(みちのく)部屋が存在しており、現存する他の部屋名と同じ文字を四股名に冠する事態となっていた。なお当時の陸奥部屋に「陸奥」のつく力士は存在しなかった。
  • 佐渡ヶ嶽部屋高砂部屋(旧若松部屋)などのように、入門からしばらくは「琴鎌谷」「朝酒井」のように「(部屋の文字)+本名」を名乗らせ、ある程度地位が上がって(例えば幕下に上がる・関取になるなど)初めて四股名を名乗らせる習慣を持つ部屋もある。ただし高砂部屋では石橋広暉(現・朝乃山)以降、学生相撲出身力士は「朝」をつけず本名をそのまま名乗っている。逆に伊勢ヶ濱部屋(旧安治川部屋)のように原則として序ノ口から「安(安治川部屋時代)」または「富士(安治川部屋初期および伊勢ヶ濱部屋時代)」のつく、本名を含まない四股名をつける部屋も存在する。九重部屋では13代時代は三段目昇進で本名から「千代」のつく四股名に改名するのが原則であったが、14代の継承後は初土俵から四股名を名乗る方針に転換した。また、高田川部屋は当時の高田川親方(元大関前の山)が2006年1月場所で「日本人にとって太郎は大切な名前。国技の中で、この名前を大事にしていこうという者がいてもいいだろう。」という理由から、所属力士の多くが下の名を師匠の現役時代と同じ「太郎」に改名した。
部屋に代々伝わるゆかりの四股名
部屋名 四股名 備考
伊勢ノ海部屋 柏戸」「藤ノ川」「四ツ車大八
高砂部屋 「小錦八十吉」「朝潮(朝汐)太郎」「高見山
井筒部屋 西ノ海嘉治郎」「源氏山」「逆鉾」「星甲
二子山部屋
(10代・11代二子山時代)
若乃花」「貴乃花
出羽海部屋 両國(国)梶之助」「出羽の花
時津風部屋 「豊山」
  • これらの名はある程度番付を上げないと襲名を許されないことが多く出世名と呼ばれる。「若乃花」は、当初大ノ海花籠親方が自分の若い頃の四股名(若ノ花)を弟子に名乗らせたものだが、その弟子が横綱初代若乃花となり独立して二子山部屋を興したため、二子山部屋の四股名となった。同様に、柏戸剛高見山大五郎がそれぞれ独立して部屋を興して以降、本家の部屋では柏戸、高見山を名乗る力士は登場していない。また「豊山」は一般的に初代[注 13] とされている豊山勝男から「新潟県出身」で「東京農業大学相撲部出身」が襲名の条件とされている。

注釈

  1. ^ 場内アナウンスでも一般で言う姓の部分しか呼び上げない。これは四股名に限らず、年寄名も同様である。
  2. ^ 下山勝則。
  3. ^ ちなみに、前名「若三杉壽人」の前に「若三杉幹士」。
  4. ^ 近年では1999年3月場所から2005年11月場所まで力士の「幸司(ゆきつかさ)」と呼出の「幸司(こうじ)」、2012年7月場所から2017年3月場所まで力士の「魁渡」と呼出の「海人(現・重次郎)」(読みは両者とも「かいと」)、2023年5月場所から力士の「隆志」と呼出の「隆二」(読みは両者とも「りゅうじ」)の例がある。
  5. ^ これに関しては琴欧洲も引退後に「大雑把だ」と自身の四股名に対して自覚するところを話し、関ノ戸も「黒海は地域を絞っているから」という趣旨の意見を述べていた[5]
  6. ^ 部屋ゆかりの冠文字(詳細は後述)も同様の理由で快く思わないと主張している[6]
  7. ^ 近年では従来の本名をそのまま本名にする例が増えている(鶴竜朝赤龍など)。
  8. ^ 新たな四股名を名乗ったのは暴行死事件に関与した2名のみであり、ともに改名後の四股名で土俵に上がることなく解雇されている。
  9. ^ 力士としては引退し、これを機に「廃業」の用語が廃止された。
  10. ^ 寺尾常史は引退後の2004年(平成16年)1月に錣山部屋を創設。2005年1月場所に初土俵を踏んだ弟子(本名・高野剛)に自身の現役時に因み、寺尾丸と四股名を命名した。このようなケースはよくあるものの、当該力士は2013年7月場所以降、錣山の四股名をそのまま継承し、寺尾を名乗った。この結果、血縁関係がない人物の旧姓を四股名に利用するという、非常に珍しい事態が生じた。
  11. ^ 上部分の「前田山」は前述の通り骨髄炎で切断必至とされていた自身の右腕を完治させてくれた前田和三郎に因んでいるが、下の名前の由来と本人の暴れん坊ぶりから四股名そのものが大前田に由来しているという誤解を生むことが少なくなかった。
  12. ^ 同名の食品メーカー会社が存在することで話題になったが、同企業と力士の山本山は一切の所縁がない。
  13. ^ 本当の初代豊山鬼吉秋田県出身で錦島部屋伊勢ノ海部屋に所属。豊山の四股名は3年間の使用でそれ以外は「荒馬 鬼吉」の四股名だった。
  14. ^ 在日韓国人であり、韓国語での正確な読みは「イ・デウォン」となる
  15. ^ 読みは「エソ」または「コチ」とする説が有力だが、いずれにしても正確な読みは判っていない。
  16. ^ 国字研究者である大原望の調査結果が参考になるのでリンクしておく。【日本語を読むための漢字辞典】『動物漢字の辞典』【魚3】

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 『大相撲中継』2017年11月18日号 pp.84-85
  2. ^ 内館牧子 『大相撲の不思議』 潮新書 2018年 ISBN 978-4-267-02149-7 p.184.
  3. ^ 「雲龍」を名乗った力士は雲龍久吉以外にももう1人いるが、下の名前は伝わっていない。他に「雲竜」を名乗った者が2人おり、雲龍久吉以外では全部で3人が確認できるが、いずれも明治期に名乗っていたものであり、それ以降は現在まで100年以上も名乗る者が出ていない。
  4. ^ 【大相撲の不思議】関取の四股名から「川」が消えたって知ってた!?(1/3ページ) 現代ビジネス 2020.09.28 (2023年3月19日閲覧)
  5. ^ 相撲塾 関ノ戸(元小結・岩木山)との対談(両国国技館) 2014年5月10日
  6. ^ 2006年2月6日付日本経済新聞 「スポートピア」
  7. ^ 2015年7月22日付 日刊スポーツ紙面
  8. ^ 『大相撲ジャーナル』2016年10月号70ページ
  9. ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p102
  10. ^ a b 大相撲徳俵】大関高安、姓にルーツある大阪で活躍誓う 横綱になってもしこ名変えず - 産経新聞 2019年3月9日
  11. ^ 月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第8回 石浦 - P+D MAGAZINE
  12. ^ ただし、取的であれば最高位が幕下38枚目だった力士が昭和戦前期に名取っていた事例がある。
  13. ^ a b c d 珍四股名大全集 参照
  14. ^ 力士プロフィール-大翔鶴 亀太郎 日本相撲協会公式サイト
  15. ^ 阪神好き高じ「朝阪神虎吉」改名「覚えてもらえる」nikkansports.com 2018年2月27日
  16. ^ 明和2年10月場所の番付表
  17. ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年、131-132頁。 
  18. ^ 大神風8度目改名、元大関千代大海が「名前やる」 nikkansports.com 2015年4月27日





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