四股名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 04:59 UTC 版)
難読な四股名
- 魚土村ヶ洞 岩右衛門(■がほら いわえもん):最高位は関脇[16]。
- 鯨波 源太夫(ときのこえ げんだゆう):最高位は前頭筆頭、四股名は「時声」とも表す。
- 友鵆 寿作(ともちどり じゅさく):最高位は前頭4枚目。
- 輦 文治郎(てぐるま ぶんじろう):最高位は前頭6枚目。
- 鱝野上 曑太夫(えのえ あきだゆう):最高位は前頭筆頭、最初の四股名も「猫又虎右衛門」と珍名。
- 梁 富五郎(うつばり とみごろう):最高位は小結。
- 階 玉右衛門(きざはし たまえもん):最高位は前頭3枚目。
- 桟シ 初五郎(かけはし はつごろう):最高位は前頭筆頭。
- 勢見山 兵右エ門(せいみざん ひょうえもん):最高位は小結。
- 鑛 石松(あらがね いしまつ):最高位は前頭7枚目。
- 籬野 雲右エ門(まがきの くもえもん):最高位は前頭2枚目。
- 𢶉ヱ 熊吉(てごたえ くまきち):最高位は小結。「てごた」は手偏に「雹」。(この字に関するグリフウィキのページ)
- 殿り 源吉(しんがり げんきち):最高位は大関。明治初期の幕内力士(主に大坂相撲で活躍)、大坂での別派「広角組」に参加。
- 京 石松(かなどめ いしまつ):最高位は前頭10枚目。明治中期、大坂相撲の幕内力士。猪名川部屋所属。
- 可愛嶽 実男(えのだけ さねお):最高位は十両4枚目。昭和初期の十両力士。出羽海部屋所属。
- 笠洋 正好(りゅうよう まさよし):北の湖部屋所属。
- 天降川 彰彦(あもりがわ あきひこ):井筒部屋所属。
- 寒水山 雅直(そうずやま まさなお):井筒部屋所属。本名。
- 常陸號 達也(ひたちごう たつや):武蔵川部屋から藤島部屋へ移籍。現役。
- 望櫻 将太(みざくら しょうた):宮城野部屋所属、のち部屋の先輩が名乗った「光法(最高位前頭9枚目)」に四股名を改名。
- 高麗の国 譲二(こまのくに じょうじ):芝田山部屋所属。現役。
- 土佐颯 一光(とさはやと かずみつ):錣山部屋所属、2012年9月場所より「とさはやて」に読み方変更。
- 若樫固 光(わかけんご ひかる):松ヶ根部屋所属、読み方はそのままで「若堅固」より改名。
- 大小林 央弥(だいしょうりん ひろや):荒汐部屋所属、本名の「小林」は一般的な読みと同様に「こばやし」と読む。
- 荒馬強 強(あらうまごう つよし):伊勢ノ海部屋所属。
- 星ヶ嶺 知足(ほしがね ともたり):井筒部屋所属、2012年1月場所「星冑 鐵足(ほしかぶと かねたり)」に改名。
- 碧の正 謙太(あおのしょう けんた):田子ノ浦部屋から出羽海部屋へ移籍。
- 久勢 和正(ひさちから かずまさ):田子ノ浦部屋所属。
- 鳳龍 良光(たかりゅう よしみつ):藤島部屋所属。
- 颯天 浩明(はやて ひろあき):藤島部屋所属。
- 東輝 孝二(あずまひかり こうじ):玉ノ井部屋所属。
- 真裟刃 勝(まさや しょう):千賀ノ浦部屋所属。本名の「真也(まさや)」に由来。
- 翔猿 正也(とびざる まさや):追手風部屋所属。現役。追手風部屋では「翔」をよく使われるが、「とぶ」と読む力士は唯一。
- 北勝伊 悠希(ほくとよし ゆうき):八角部屋所属。現役。
- 碧天 大市(あおぞら だいち):田子ノ浦部屋から春日野部屋へ移籍。
- 大海 一成(たいよう かずなり):尾上部屋所属。現役。
- 紫雷 匠(しでん たくみ):木瀬部屋所属。現役。
- 羽出山 将(はつやま しょう):玉ノ井部屋所属。本名。現役。
- 阿龍 佑晟(あーろん ゆうせい):二所ノ関部屋所属。現役。
- 美ノ海 義久(ちゅらのうみ よしひさ):木瀬部屋所属。現役。沖縄県出身であり、「ちゅら」は沖縄県の方言で「美しい」という意味。
注釈
- ^ 場内アナウンスでも一般で言う姓の部分しか呼び上げない。これは四股名に限らず、年寄名も同様である。
- ^ ちなみに、前名「若三杉壽人」の前に「若三杉幹士」。
- ^ 近年では1999年3月場所から2005年11月場所まで力士の「幸司(ゆきつかさ)」と呼出の「幸司(こうじ)」、2012年7月場所から2017年3月場所まで力士の「魁渡」と呼出の「海人(現・重次郎)」(読みは両者とも「かいと」)、2023年5月場所から力士の「隆志」と呼出の「隆二」(読みは両者とも「りゅうじ」)の例がある。
- ^ これに関しては琴欧洲も引退後に「大雑把だ」と自身の四股名に対して自覚するところを話し、関ノ戸も「黒海は地域を絞っているから」という趣旨の意見を述べていた[5]。
- ^ 部屋ゆかりの冠文字(詳細は後述)も同様の理由で快く思わないと主張している[6]。
- ^ 近年では従来の本名をそのまま本名にする例が増えている(鶴竜、朝赤龍など)。
- ^ 新たな四股名を名乗ったのは暴行死事件に関与した2名のみであり、ともに改名後の四股名で土俵に上がることなく解雇されている。
- ^ 力士としては引退し、これを機に「廃業」の用語が廃止された。
- ^ 寺尾常史は引退後の2004年(平成16年)1月に錣山部屋を創設。2005年1月場所に初土俵を踏んだ弟子(本名・高野剛)に自身の現役時に因み、寺尾丸と四股名を命名した。このようなケースはよくあるものの、当該力士は2013年7月場所以降、錣山の四股名をそのまま継承し、寺尾を名乗った。この結果、血縁関係がない人物の旧姓を四股名に利用するという、非常に珍しい事態が生じた。
- ^ 上部分の「前田山」は前述の通り骨髄炎で切断必至とされていた自身の右腕を完治させてくれた前田和三郎に因んでいるが、下の名前の由来と本人の暴れん坊ぶりから四股名そのものが大前田に由来しているという誤解を生むことが少なくなかった。
- ^ 同名の食品メーカー会社が存在することで話題になったが、同企業と力士の山本山は一切の所縁がない。
- ^ 本当の初代豊山鬼吉は秋田県出身で錦島部屋→伊勢ノ海部屋に所属。豊山の四股名は3年間の使用でそれ以外は「荒馬 鬼吉」の四股名だった。
- ^ 在日韓国人であり、韓国語での正確な読みは「イ・デウォン」となる
- ^ 読みは「エソ」または「コチ」とする説が有力だが、いずれにしても正確な読みは判っていない。
- ^ 国字研究者である大原望の調査結果が参考になるのでリンクしておく。【日本語を読むための漢字辞典】『動物漢字の辞典』【魚3】
出典
- ^ a b c d e f g h i 『大相撲中継』2017年11月18日号 pp.84-85
- ^ 内館牧子 『大相撲の不思議』 潮新書 2018年 ISBN 978-4-267-02149-7 p.184.
- ^ 「雲龍」を名乗った力士は雲龍久吉以外にももう1人いるが、下の名前は伝わっていない。他に「雲竜」を名乗った者が2人おり、雲龍久吉以外では全部で3人が確認できるが、いずれも明治期に名乗っていたものであり、それ以降は現在まで100年以上も名乗る者が出ていない。
- ^ 【大相撲の不思議】関取の四股名から「川」が消えたって知ってた!?(1/3ページ) 現代ビジネス 2020.09.28 (2023年3月19日閲覧)
- ^ 相撲塾 関ノ戸(元小結・岩木山)との対談(両国国技館) 2014年5月10日
- ^ 2006年2月6日付日本経済新聞 「スポートピア」
- ^ 2015年7月22日付 日刊スポーツ紙面
- ^ 『大相撲ジャーナル』2016年10月号70ページ
- ^ 『大相撲中継』2017年8月12日号 p102
- ^ a b 大相撲徳俵】大関高安、姓にルーツある大阪で活躍誓う 横綱になってもしこ名変えず - 産経新聞 2019年3月9日
- ^ 月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第8回 石浦 - P+D MAGAZINE
- ^ ただし、取的であれば最高位が幕下38枚目だった力士が昭和戦前期に名取っていた事例がある。
- ^ a b c d 珍四股名大全集 参照
- ^ 力士プロフィール-大翔鶴 亀太郎 日本相撲協会公式サイト
- ^ 阪神好き高じ「朝阪神虎吉」改名「覚えてもらえる」nikkansports.com 2018年2月27日
- ^ 明和2年10月場所の番付表
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年、131-132頁。
- ^ 大神風8度目改名、元大関千代大海が「名前やる」 nikkansports.com 2015年4月27日
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